植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

俺ってついてる!と思い込むようにしてる。

現在、浜松町。
昨夜到着したときは、羽田空港は豪雨。雨雲レーダーも赤い。
 
僕は東京に泊まるときは、たいてい浜松町。
浜松町はいい。
なんたって、羽田空港が近い。
次に、駅に直結で大きな本屋がある。
次に、ホテルのそばに、CoCo壱番屋と、モスバーガーと、マクドナルドがあるから、帰りが遅くなっても大丈夫。
 
本屋さんによってから、濡れるの覚悟でビルを出たら、みんな傘さしていない。雨のすき間。ラッキー。よっしゃあ!
 
ホテルについて、部屋は〇〇階です。と言われた!
ラッキー。よっしゃあ!
その階は、コインランドリーあるじゃん。
 
僕は、ラッキー!をなるべく感じるようにしています。
些細なことでも喜ぶ。
それはきっと、心にいいことのような気がします。
 
お、日差しが差し込んできた!晴れたのか?
ラッキー!よっしゃあ!
 
これから、静岡に行ってきます!

オススメの本!

イラストで学ぶ!戦闘外傷救護
 
これ、とてもいい本だと思います。
僕は、怪我をすることが多かったので、
以前から海外の戦闘外傷救護について学んでいましたが、
これは、とってもわかりやすく詳しく書かれています。
 
戦闘、とついていますが、これは、交通事故などでも
すごく有効な外傷救護ですから、おぼえておいて損はないです。
 
本にも書かれていますが、アメリカでは小学校から、
止血について教えるそうです。
自分の怪我にも有効なのだから、学ぶべきだと思います。
 
ちなみに、僕のヘビー級のリュックの最下段には、
米国軍のファーストエイドキットが一式入っています。
止血バンドももちろん。
人工呼吸のためのアダプターも標準装備です。
もしものときに、僕が使えなくても、僕より上手に
使える人の役にたつかもしれません。
以前、会社に消防署の方々が、救急救命の講習に来てくださいました。大切な時間を割いて教えてくれた技術を、
活かすのが恩返しだと思って装備しています。
 
この本は、おそらく、日本の医療の常識からすると、
ちがうやり方も沢山かいてあると思います。
でも、どっちが正しいか、ではなく、
目的は、命を支えること、ですから、
情報として、読んでみてほしいです。
オススメです。
 
 

 

 

印紙の大きさを変えないでほしい。

今度も短いわ。
書いてもしょうがないことだけど。
 
なんで、印紙の大きさは1000円超えたらでかくなるかな。
 
貼りにくいんですけど。
 
お札のように、触覚でわかるような考慮もされていない。
(1000円も2000円も同じサイズ)
 
1000円を超えても、200円と同じ大きさでいてほしい。

一人ぼっちも悪くない。

今回は短いよ。

一人勝ちの決め手は、一人ぼっち。

儲かりそうなことに飛びついても、
もうすでにスタートから周回遅れです。

だから僕は、不特定多数の他者からの出資を得られるようなチャレンジは、多くの人が「儲かりそう」と理解をしてるわけだから、周回遅れだと思っています。
(もちろん、周回遅れがだめなわけではないですよ。僕がビジネスとして選ばないだけです。)

一人勝ちの為には、人跡未踏の荒野を行こう!
一人ぼっちを恐れないで

グローバルな観光を理解するには、自分の余暇と趣味を考えた方がいい。

時々、ロケット打上で観光客を集められる、と言う人から相談を受けます。
 
たしかに、テレビを見ると、イプシロンの打上や、H2の打上には、沢山の人が集まっているように見えます。
 
で、僕も、本当にそれが可能かを考えて見ました。
 
まず最初に考えたのは、すでに十分ロケット打上がある程度定期的に行われている内之浦種子島では、観光が大きな産業になっているのかな?です。
実際に行ってきた感じでは、そんなに儲かってるようには見えないです。
あんだけの巨大で迫力のある本物の打上でも、そのくらいの効果しかないのだなあ・・・と思います。
 
そもそも、ロケット打ち上げは、見世物にしにくいです。
なぜなら、高価であることと、安全第一だからです。
そのため、気象状況によって、容易に打上は中断します。
何重ものバックアップがあっても、ひとつがダメなら打上中止です。
これは、見世物としては、致命的です。
 
また、準備に対して、見えている時間が短すぎます。
曇り空なら、数秒で見えなくなります。
 
だから、ロケット打上を、観光資源にするのは、相当に困難だろうと思います。
 
僕は、観光の経済効果は、環境客が使った費用と、
それを受け入れるために費やされたコストとの差額で考えるべきだと思います。
だから、単純に、来た人の頭数だけ数えるのでは、観光の経済効果は計れないと思います。
 
以前僕は、京都で小さな駅が観光客であふれかえっているのを見ました。なぜこんなに人が・・・と思ったら、
そこにある神社は、お金を取らないのだそうです。それが知られたとたんにこの有様で、街は大混乱だそうです。
このままだと、駅を大きくしないと対応出来ないのだそうですが、お金をかけて駅を作り直しても、そこに来てる観光客は、無料だから来てるのですから、その地の経済効果は無いも同然です。
 
僕は、観光客がお金を使うのはどこだろう・・・と考えました。
一番お金がかかるのは、飛行機代です。それは、航空会社の収入です。
次にかかるのが、宿泊代です。これは、宿泊事業者の収入です。
そのあとで、やっとこ、現地のお土産や食事になりますが、
お土産も実際には、空港で購入する人が増えています。空港も努力してるしね。食事も朝と夜はホテルが提供しています。
ということは、観光でお金稼ごうと思ったら、航空業は今から参入も難しいでしょうから、宿泊業がもっとも現実的です。
すなわち、その地域に、宿泊施設がなければ、観光はビジネスとしてはかなり利幅が薄いということになるかと思います。
でもね、ホテルは、通年稼働してなんぼです。季節でばらつきがある場合、ホテルそのものが、赤字を生み出す可能性が高いです。
 
ちなみに、僕の会社には、僕の街の人口以上に子ども達がやってきます。滞在時間は5時間にもなります。
その子達は、地元の飲食店が用意したお弁当を食べます。
これは、経済効果だろうと思います。
また、一人一機のロケットを作って飛ばします。そのために、3千円近くのお金がかかります。
5時間と一人3千円。これは、けっこう負担が大きいと思います。
それでも、来てくださった学校は、その場で翌年の予約を入れてくれます。だから、新規の学校がほとんど入れない状態です。
あとは、僕らの受け入れ能力を増やすしかないです。
 
小樽という街は、ものすごく観光客が来るそうです。
でも、実際には、経済的にはかなり厳しい状態だそうです。
でも、その中で伸びてる業種もあるそうです。
それは、体験型です。
僕もガラスでトンボ玉を作らせていただきましたが、とてもおもしろかったし、なにより、「できなかったことができるようになる」のは、すごくうれしいことでした。
 
僕は、たいていのものが通信販売で買えたり、どんなお土産も空港で買えるこのご時世には、地方の観光は、観光客の財布のひもが緩むのをあてにするようなビジネスではなく、
観光で来た人達の「精神的な満足」が感じられるビジネスに切り替わっているのだろうと思います。
それに気がついた地域が伸びて、そうではない地域が、遅ればせながら旧態依然の観光ビジネスをしても、負け確定だと思います。
 
この「精神的な満足」の正体を知らなければ、これからの観光ビジネスはうまくいかないと思います。
でも、自分が働くので精一杯で、観光旅行もしたことが無い、という状態では、「精神的な満足」を理解することはできないでしょう。
残念ながら、日本人は、余暇や趣味を楽しめている人が少ないような気がします。いつから娯楽が買い物になってしまったのでしょう。遊園地とショッピングモールが同じ価値になってしまってる気がします。
このままでは、日本人がグローバルな観光を理解するのは、かなり難しいんだと思います。

言うことを聞くだけでは生きていけない。

最近、「交渉」が出来無い人が増えてる気がします。
 
仕事において、相手に対して、こちらが100%隷属している状態の場合は、交渉の余地はありません。
言われたことを、言われたとおりにするしかないです。
これは、けっこうつらい状態です。
 
だから僕は、このような状態にならない努力をしています。
努力して、立ち位置を「隷属」ではない状態にしています。
 
でも、最近、自ら隷属に陥る人を見かけます。
こういう人は、要求されたことを、すべて「しなければならない」と思い込んでしまいます。
なんでも受けちゃうから、相手もさらに要求してきます。
その結果、消化できなくなって爆発してしまう人がいます。
これでは、お互いに不幸です。
 
なぜ、協議できないのかな?
なぜ、交渉できないのかな?
 
僕は、その原因として、教育の過程で「言うことを聞く」をたたき込まれるからではないかと思います。
 
残念ながら、日本の教育では、雇われ方を教えていません。
「言う事のきき方」しか教えていないのがほとんどです。
本当は、労使の関係であっても、お客との関係であっても、どちらかが一方的に上位なんてことはないです。
よりよい結果のためには、双方が歩み寄るのがいいとおもいます。
だから僕は「お客様は神様です」を、お客側が言ってはならないと思っています。
 
ところが、学校では、先生は一方的に上位です。
そういう人がする命令は絶対です。
そしてまた、ロボットがいない時代の日本では、
「言われたことを、余計なこと考えずに、言われたとおりにやればいいんだ」がまかり通っていました。
これでは、協議も交渉も身に付くはずがないです。
 
働くためには、雇われ方も、雇い方も知っていた方がいいです。
海外の教育に関わった人達の話では、海外ではそれは当たり前のことだそうです。
でも日本では、「権利」に猛反対する先生も多いです。
子ども達の自主性や主体性を尊重したら、制御不能になる、という先生もいました。
そこにあるのは、管理と支配です。
でも、そういうことをするから、無理なことも、つらいとも言えずに、どんどん抱え込んで破綻してしまう人が育成されてしまうのではないかと、僕は思っています。
 
僕は、会社も社会も、わざわざ同じ漢字を使っているのには意味があるのだろうと思っています。
どちらも、人が力を合わせて、一人では出来無いことを成すための仕組みなのだと思っています。
でも、会社には、命令と強制があります。そうしないと従業員は動かない、という経営者もいます。
でも、社会には、命令と強制は不要だと思います。それでも人は力をあわせることができます。
 
僕は、相談とお願いと感謝が重要だと思っています。
これこそが、協議と交渉だと思っています。
だから、相談とお願いの感謝の練習を、
できれば、義務教育でしっかりやってほしいと思っています。
 
大人に都合のよい、素直でまじめで勤勉な人間を作ってしまうと、その子は、大人になってから、仕事に押しつぶされてしまうかもしれません。
 
 
 

努力は定量的なものではないよ。

最近、僕が悩んでしまうのは、
「自分は努力できません!でも、成果がほしいです!」という要望です。
 
うーん。どうしよう。
 
僕が理解に苦しむのは、
「自分は努力できません」という宣言です。
なぜ?と思います。
 
もしかしたら、こういう人達は、「努力」を定量的に考えているのかな?
 
本来は、努力には、量も単位もありません。
だから、だれでも努力できます。
というか、おそらく、朝起きて、布団から出てきた段階で、けっこう努力してる気がします。
欲望のままに、寝続ける、ということもできたのにね。
 
そんなの、できて当たり前でしょ?だからそんなの努力ではない!と思う人もいるかもしれません。
そういう人が、「自分は努力できません!」になるのかも。
だってね、「できて当たり前でしょ?」の基準もないのに、
その基準を自分で作っている、ということです。
その基準以下では、努力ではない。と思った段階で、
おそらく、かなりの努力が努力と認定されなくなります。
 
たとえば、ロケットを作りたいです!と思ったとします。
そのために、まずは、学研の図鑑を読みました!は、立派な努力です。
ライトスタッフという映画を見ました!も、立派な努力です。
モデルロケットを作りました!なんてのは、かなりの努力です。
 
でもね、
何をしていいのかわかりません、どうすればいいですか、教えてください。という人が多いです。
そういう人に、
「学研の図鑑でも読んでおいた方がいいよ。」と言っても、
読まない人が多いです。
ライトスタッフという映画は、見たらきっといいよ。」と言っても、見ない人も多いです。
「モデルロケットは、Amazonで買えるから、作ってみたら?」と言っても、買いもしないし、作りもしない人は多いです。
なんでかな。
 
どうせ読んでもわからないだろう・・・
そんな映画を見る時間がない・・・
モデルロケットなんて、難しそう・・・・
 
「教えてください」って、どのレベルのこと?
できるようになるまで、わかるようになるまで、マンツーマンで手取り足取りやらないとできないの?
 
なんとなく、これは、モデルロケット教室をしていると感じます。
小学生は、自分で考えて、工夫して、隣の人を見て、作ります。
でも、中学生くらいになると、「わかりません」で固まってしまう人が多いです。隣の子が同じことやってるのに、見もしないし、聞きもしません。
僕はその原因に心当たりがあります。
 
小学生の頃には、学校の勉強や、学校の体育以外のことでも、友だちから認められたり、褒められたりする分野を持ちやすいです。だからこそ、学校の勉強以外でも、自分の知りたいや、やってみたい、には価値があります。
でも、中学校にあがったあたりから、学校に評価される事以外は無価値どころか、マイナスになります。
そうなると、「自分がどうしたいのか?」ではなく、「他人からどう思われるのか?」が行動の原動力になってしまいます。
 
僕は、現在の受験システムは、思考力と主体性を奪う要素がとても多いと思っています。
それは、「言われたことを、余計なことを考えないで、言われたとおりにやればいいんだ」という、ロボットがいない時代には重要な教育だったのかも知れませんが、これからではそれではロボットに負けてしまいます。
でも、もうすでに、ロボットに負けてしまう人が、どんどん量産され続けています。
 
だからこそ、お願いだから、
「できなかったことができるようになる」を褒めてあげてほしいです。
どうか「そんなのできて当たり前でしょ!」と言わないでほしいです。
または「そんなことおぼえてどうすんの!そんなことしてるヒマがあったら、勉強しなさい!」と、言わないでほしいのです。
 
子どもが主体的に行った努力や挑戦を、褒めて支えてあげてほしいです。
そうしないと、「努力できません」宣言をしてしまう人が増えてしまう気がするのです。
ロボットに負けてしまう人が増えてしまいます。
 
努力にはランクはありません。
やりたいことを実現するために近づいてく行為は、すべて努力です。
だから、努力できません、なんて思う必要は無いです。
ぜひ、自分で考えて、踏み出してみてほしいです。