植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

言うことを聞くだけでは生きていけない。

最近、「交渉」が出来無い人が増えてる気がします。
 
仕事において、相手に対して、こちらが100%隷属している状態の場合は、交渉の余地はありません。
言われたことを、言われたとおりにするしかないです。
これは、けっこうつらい状態です。
 
だから僕は、このような状態にならない努力をしています。
努力して、立ち位置を「隷属」ではない状態にしています。
 
でも、最近、自ら隷属に陥る人を見かけます。
こういう人は、要求されたことを、すべて「しなければならない」と思い込んでしまいます。
なんでも受けちゃうから、相手もさらに要求してきます。
その結果、消化できなくなって爆発してしまう人がいます。
これでは、お互いに不幸です。
 
なぜ、協議できないのかな?
なぜ、交渉できないのかな?
 
僕は、その原因として、教育の過程で「言うことを聞く」をたたき込まれるからではないかと思います。
 
残念ながら、日本の教育では、雇われ方を教えていません。
「言う事のきき方」しか教えていないのがほとんどです。
本当は、労使の関係であっても、お客との関係であっても、どちらかが一方的に上位なんてことはないです。
よりよい結果のためには、双方が歩み寄るのがいいとおもいます。
だから僕は「お客様は神様です」を、お客側が言ってはならないと思っています。
 
ところが、学校では、先生は一方的に上位です。
そういう人がする命令は絶対です。
そしてまた、ロボットがいない時代の日本では、
「言われたことを、余計なこと考えずに、言われたとおりにやればいいんだ」がまかり通っていました。
これでは、協議も交渉も身に付くはずがないです。
 
働くためには、雇われ方も、雇い方も知っていた方がいいです。
海外の教育に関わった人達の話では、海外ではそれは当たり前のことだそうです。
でも日本では、「権利」に猛反対する先生も多いです。
子ども達の自主性や主体性を尊重したら、制御不能になる、という先生もいました。
そこにあるのは、管理と支配です。
でも、そういうことをするから、無理なことも、つらいとも言えずに、どんどん抱え込んで破綻してしまう人が育成されてしまうのではないかと、僕は思っています。
 
僕は、会社も社会も、わざわざ同じ漢字を使っているのには意味があるのだろうと思っています。
どちらも、人が力を合わせて、一人では出来無いことを成すための仕組みなのだと思っています。
でも、会社には、命令と強制があります。そうしないと従業員は動かない、という経営者もいます。
でも、社会には、命令と強制は不要だと思います。それでも人は力をあわせることができます。
 
僕は、相談とお願いと感謝が重要だと思っています。
これこそが、協議と交渉だと思っています。
だから、相談とお願いの感謝の練習を、
できれば、義務教育でしっかりやってほしいと思っています。
 
大人に都合のよい、素直でまじめで勤勉な人間を作ってしまうと、その子は、大人になってから、仕事に押しつぶされてしまうかもしれません。