どーせ望みが叶わないから、望まない?
幸せになりたい。
そりゃそうでしょう。
では、幸せって、なんでしょう?
望みが叶うこと?
では、その望みは、どうやったら叶いますか?
もしかして、お金がないと無理?
では、そのお金は、どうやって増やしますか?
いや、給料なんて、そんな増えないし。
じゃあ、その望みは叶わないですか?
望みが叶わない状態は、幸せではないから、不幸?
不幸にならないためには?
もしかして、望まなければいい?
幸せになりたかったはずなのに、
どーせなれなさそうだから、
望むことをやめてしまう?
ここに陥っている人は、少なくないです。
ここに陥る理由は、
望みを叶えるための方法の選択肢がなさ過ぎるからです。
たとえば、
いい学校に行くためには、その学校に入るための学費も必要だし、それ以前に、予備校や塾に行くためにはお金が必要。
と思い込んだら、お金がないだけで、いい学校にいけないことになります。
そもそも、なぜ、いい学校に行かなければいけないのか?
他に方法はないのか?
僕らは、進路相談の影響を受けすぎていないだろうか?
人生が、学歴や資格に支配されると思い込まされていないだろうか?
そして、学歴や資格を得るためには、学校に行くしかなくて、そのためにはお金がかかると思い込まされていないだろうか?
そしてお金は、雇用されて、誰かの命令に従って、自分の人生の時間を提供したときに、誰かの評価によって「もらえる」ものだと思い込まされていないだろうか?
お金は、自分の体に詰まっています。
お金は、自分の能力を形にしたものです。
そして、能力をお金に変換する方法が「労働」かもしれないです。
その労働は、ほんとうは、雇用される、だけではないです。
その能力が「普通」だと、最低賃金になります。
なぜなら、スペアがいくらでもいるから、一番安いのが選ばれるからです。
その能力が「特別」だと、変換レートが上がります。
ただし、その能力を必要とする人にアピールし、理解される必要があります。
実は、自分の能力を向上させると、お金が増えることになります。その能力とは、経験や、知識や、人脈や、健康や、もうそれはそれは、多岐にわたります。
決して、成績や偏差値だけではないです。
だから、自分の能力を向上させるための投資は、とても重要で、効果的です。
しかし、たとえば、健康になろうとして、運動をするとします。
健康も立派な能力であり、個性です。
しかし、「えー。運動すんの?それ、時給いくらもらえるの?」と考えたら、運動なんてできないです。
知識を増やすために、本を読むときも、
なんておもったら、まあ、知識は永遠に増えないですね。
お金がなければ、望みが叶わないとおもいこまされる人。
そのお金は、雇用されて、言うことを聞くことでしか手に入らないと思い込まされる人。
こういう人は、「幸せになりたいけど、どーせなれないから、望まない。」人になってしまうかもしれません。
もちろん、それ自体は問題ないです。
問題になるのは、そう思い込んだ人たちが、
ほかの人の望みまでも潰そうとすることがあることです。
自分があきらめた望みを手に入れた人を、うらやみ、否定するようになってしまうことがあります。
それは、いろんな人に害悪を及ぼす、とても残念な思考だと、僕は思います。
望みを叶えるためには、お金以外にもいろんな方法があることを考える人。
そして、お金は、現金だけではなく、自分の能力で、その能力を高めることの効果を知ってる人。
こういう人は、幸せを追い続ける過程で、能力が増え、人脈が増え、結果的に、望んでもいなかったいろんなすてきなことができるようになってしまうことが少なくないです。
こういう人は、ほかの人の望みを支え、応援する人になるでしょう。
ほんの少しの考え方の切り替えです。
どっちが正解ということはありません。
でも、僕は、後者を選びます。
だって、望みを捨てたくないから。
一度きりの人生を、偏った情報で「絶望」したくないです。