植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「意識高い系?」に負ける必要は無い。

最近、若い人の間で、「いしきたかいけい」という言葉があるそうです。
 
「石北会計」?(北海道人なら、せきほくかいけいと読みそう。)
 
ちがいます。
「意識高い系」です。
 
元々は、自分の経歴をよさげに詐称する人への侮蔑の言葉だったそうですが、
いつのまにやら、意識の高いことを言うけど、実行が伴っていない人を侮蔑する言葉になり、
それがさらに悪く進化して、今では、「できもしない夢を語る人を侮蔑する言葉」になってしまってるケースもあるそうです。
 
僕も、「できもしないことを言うな」とさんざん言われてきました。
 
もちろん、僕がやりたかったことの中には、今もできていないこともあるし、やらなかったものもあります。
でもそれは、マイナスにはなってないです。
(小学生の頃に、潜水艦を作りたかったけど、中学生の時にジョーズを見て以来、サメが怖くて、海に入れなくなりました。でも、今でも潜水艦にはとても興味があって、水中ロボットの勉強はたくさんしています。)
 
なんせ、人生には限りがあるので、やりたいことにも優先順位を付ける必要があると思います。
 
できもしないことを言うのがダメなら、
できる範囲のことしか考えちゃいけないってことでしょうか?
だとしたら、そこには「成長」も「進化」もありません。
 
人間は、心も、体も、適度な負荷をかけると、強くなります。
学校の先生は、それをよく知ってるはずです。
だのに、学校の先生が、子ども達の夢を「できもしないことを言うな」と潰してしまうケースが、少なからずあります。
そういう先生は、教え育てる人ではないのだと思います。
 
もちろん、先生に限らず、「できもしないことを言うな」という人は少なくないです。
たいていは、「できもしないことを言うな」の犠牲者です。
 
人類が進化してきたのは、「できもしないことに挑んだ人たち」のおかげです。
ともすると、科学の発達を悪いことのように言う人もいますが、
そういう人は、ほかの人の努力と恩恵を考えていない人たちだと思います。
僕は、先人の努力の恩恵を感謝するようにしています。だから僕は、消毒薬も、麻酔も無かった時代のことを忘れないようにしています。
人類の発達の歴史を知ると、すべてのものがありがたく思えてきます。
そして、自分も、その人類の進化に、いくばくかでも寄与したいと思っています。
 
できもしないことに挑むのは、夢に向かって、ずんずん歩くようなものです。
時々、道ばたから「意識高い系?」「できもしないことをやるな!」なんていう侮蔑の言葉が聞こえてきても、
そういうことを言う人たちは、そこにとどまっているから、
歩き続けていたら、すぐに視界から消えます。
そして、歩き続けてれば、同じく歩き続けている仲間に出会えます。
 
大事なのは、自分のやりたいことにむかって、一歩一歩歩き続けることです。
外野の根拠の無いヤジくらいで、歩みを止めるのはもったいないです。