植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

なんでもかんでもジャッジしなくていいんじゃない?

僕は忠臣蔵が好きです。
一番好きなのは、大昔の松竹の映画、花の巻、雪の巻です。
台詞もほとんど覚えています。

もちろん、他の忠臣蔵も好きです。
内容は暗記していますから、
なにがおもしろいかって、
それは、表現の違いです。

おお、この忠臣蔵では、このシーンが、こう描かれるのか!?
と、感じることが楽しいです。

でも、「花の巻」「雪の巻」が正しくて、
そうではないものは間違っている。
なんて、思ったことは無いです。
だって、僕は映画を作れない。

映画を作るのは、それはもう、並大抵の作業ではないと、
僕は認識しています。
僕はロバート・デニーロという俳優さんが好きですが、
かれは、それはもう、どんな演技も鬼気迫るほど演じます。
でも、彼のような、一流の俳優さんに共通しているのは、
個性はとてもやさしくておだやかで謙虚なんだけど、
でも、とてつもなく個性的な演技をします。
それは、監督の取りたい演技を徹底的にできる、ということなのかもしれません。
ということは、監督さんと、役者さんの関係は、とても深いはずです。

僕にはできないことを、してくれている人達がいます。
それはもう、すごい努力をしています。
それを、批判したりできません。
できることは、「ここがよかった」「この表現が好き」と
言うことだけかも。

最近の若い人と話しをしていて感じる違和感は、
なんでもかんでも、「ただしい」か「ただしくないか」で
白黒つけすぎるところです。
世の中には、グレーもたくさんあります。
それを、どう感じるのかは、個々人の自由なのに、
そこに「正しい」か「正しくないか」を求め、
正しいことを選ぼうとします。
そして、グレーな場合、どうしようもなくなります。
自分では決められないのです。
決めるためには、第三者的な視点での「正しい」が必要のようです。
でもね、自分がどう思うか、どうしたいか、が大事だとおもうけどね。

ピカソの絵を見て、「へたくそだ」と言う人は少なくないです。
なんで、そんなこと言うの?
なんで、ただしいか、ただしくないかを、押し付けるの?

美しい、という感覚も、時代とともに変わります。
ローライズのジーパンが流行ったと思ったら、
今度は、腹まで覆うようなジーパンが流行です。
(ジーパンって死語か?)
それを、正しい、とか、正しくない、とか、
言うのは、ナンセンスです。

大事なのは、自分がどう思うか、です。
そして、自分がどう思うのか、を尊重したければ、
他人がどう思うのか、も尊重すべきです。

だとしたら、
「それは間違っている」ということは言えません。
「自分はこう思う」だけで十分です。

最近のSFには、昔スターウォーズを見たような感激が少ないです。
その原因は、「そんなのあり得ない」という批判の声だそうです。
ビームサーベルは物理的に不可能だ」
「ワープなんてできるわけが無い」
という否定意見のおかげで、
ついにガンダムでは、未来世紀なのに、モビルスーツが、第二次世界大戦中の武器を駆使するようになったのかも。

世の中は、かなりあいまいです。ファジーです。(死語)
ある国で正しくても、違う国では、ダメなこともあります。
だからこそ、ジャッジの必要は無いです。
じぶんならどうするのか?
を考えて行動していけばいいです。
他人を否定する必要はないと思います。