植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自律を育てるために。

義務教育って、
よき日本人、よき社会人を育成するためのものだと思います。
だから、国費を投じて、罰則まである義務として、
教育しているのだと思います。

よき社会人の条件には、自律、も大事だと思います。
自分で自分を制御して遵法することで、
社会が保たれるように思います。

で、僕は、自律と、管理は、おそらく相反すると思っています。
自律できないから、管理が必要になります。
でも、教育は、自律能力を与えることも大事です。
でも、教育の場で、管理され続けると、
自律できなくなるような気がします。

実際、植松電機に見学に来てくれる多くの学校で,
自律している生徒達は、行動もはやく、たくさんしゃべるけど、
マイクのスイッチの音だけで、ぴたりと静寂します。
そこには、命令も怒声もありません。目が輝いています。
自分で考え、自分で行動します。やりたがりの、しりたがりです。

しかし、先生が厳しく管理(支配とも思えるほど)している学校に生徒達は、行動が鈍く、無駄口や私語が多く、目もぼんやりしています。彼らは、隙があれば、先生の支配に抵抗しようとしています。
だから、「はやく歩け!」と怒鳴られたら、ますますゆっくりだらだら歩きます。
彼らは「わかんなーい」を連発します。「意味なくね」「だりい」「うぜえ」「むかつく」「めんどくせ」も連発です。
思考したがらず、安易に答えを求めるどころか、めんどくさいことは、誰かにやらせようとします。

これは、家庭においても同様です。
支配型の家庭の子達は、どんよりです。
自律型の家庭の子達は、ほがらかです。

だからこそ僕らは、気を付けるべきだと思います。
自分は、管理や支配をしようとしているのか?
それとも、自律できる能力を与えようとしているのか?

僕は、会社を経営していて、会社の仲間が、自律できることを望みます。
なぜなら、僕が管理や支配するためには、僕が会社のすべてを
考えなければいけなくなります。
でも、もう、たった17人とはいえ、同時に様々なプロジェクトが動いているので、一人で全部掌握できる規模ではありません。
僕が一人で掌握しようとしたら、僕がボトルネックになり、
せっかく17人もいるのに、一人分の仕事しかできなくなるでしょう。

人間は、自律できます。
そのためには、
「ほめる」
「まかせる」
「感謝する」
「信頼する」
が、とても大事だと思います。

これをヒックリ返して考えると、
「うまくいっても、ケチをつける。批判する。」
「指示に従わせる。」
「うまくやって当たり前。失敗したら大叱責。」
「常に指示を求めさせる。勝手なことを許さない。」
かな。


支配や管理では、自律は育たないと、僕は思っています。