植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

義務教育の意味

教育の事に関して、常に出てくる話は、
「先生が悪いのか?それとも家庭が悪いのか?」です。

でも、こうやって考えると、
それは、責任の押し付け合いで終わってしまいます。
肝心の子どものことを考えていない思考です。

重要なのは、義務教育の意味です。
なぜ国家が税金を用いて義務として全国民に教育を行うのか?
そんなことしていない国だって沢山あるのに。

それは、国民の能力を高めることが、
よりよい国家を作るという可能性を信じているからです。

そして、教育を家庭に委せていないのは、
ひどい家庭もあることを知っているからです。

子どもに教育を与えず、労働力としてこき使ったりする
家庭が少なくなかったからこそ、教育の義務を課しています。

だから、義務教育の先生は、ひどい家庭の子達でも、
良き社会人として教育する義務を負っているはずです。

その先生が、「子どもが悪いのは家庭のせいだ」と言ってしまったら、それは、義務教育の放棄です。

最近、子どもの学力を上げるためには、家庭学習が重要だという声をよく聞きますが、家庭学習が不可能な家庭環境の子達は、どうすればいいのでしょう?
家庭が悪いからしょうがない、とあきらめるしかないのでしょうか?

義務教育の先生は、教育について学び、常に研修を受けて最新情報を入手し、そして、給料をもらいます。
それは、「義務」教育をすべての子どもに提供するためのはずです。

もちろん、通常の先生ではお手上げなほどに、異常な家庭環境で育ってしまった子もいるでしょう。また、全体の数パーセントは、ADHDなどの症状を示す子どももいるでしょう。
それは、適切な「特別な支援」が必要な子達です。
医療による治療や、特別なカウンセリングを施せば、
社会人として適応できる可能性のある子達を、
汚い言葉や恫喝で押さえつけるのは、教育として間違っているはずです。

僕は、先生がおかしなことをしていたら批判します。
それは、先生がプロだからです。
社会不適合な子どもが育ってしまうのには、親が原因である可能性は極めて高いです。
しかし、その子を、社会に適合させるために義務教育があるのですから、先生の責任は重いです。
日本人をダメにする原因がなの親だとしたら、その子を救うのを職業としているのは先生です。