植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

勉強嫌いにさせないために

僕は、中学でも、高校でも、勉強が嫌いでした。
でも、大学に行ってびっくりです。
今風に言えば「キター!」です。

だって、テストが、参考資料あり、なんですもん。
なんでも見ていいんです。
その代わり、テストの問題はめっちゃムズカしい。
その点について文句を言ってる同級生もいたけど、
僕としては、なんぼ難しくても、
参考資料を調べたらなんとかなる自信がありました。
だから、とっても嬉しかったです。

しかも、流体力学も、航空工学も、
子どものころから大好きだった、二宮先生のよく飛ぶ紙飛行機集に書かれていた計算が、けっこう使えます。
あれほど理解不能だった微分積分も、とってもわかります。
高校のころの、受験対策の勉強にはぜんぜん意味や目的を見出せませんでしたが、大学の授業を知って、学問は楽しい、と
心底思えました。

でね、思ったんです。
同じ数学や物理を教えているのに、
あんなに面白くなく苦しく、というか、嫌いになるように授業をする先生もいれば、
いやもう面白くてしょうがない、という授業をする先生もいるということです。
この差はなんだ?というか、差があっていいのか?
と、大学生の僕は心底思ったのです。

実際、現在では、進学を真剣に考えたら、「塾」に行きます。
「塾」では、基本的に学校で教えていることを教えます。
でも、「塾」に行ったのと、行かないのとで、成績にすごい差がついてしまうことがあります。
その顕著な例が「ビリギャル」ですか。

「ビリギャル」では、
「ダメな子どもはいない。ダメな指導者がいるだけだ。」という言葉がありますが、これって、塾の先生が、高校の先生に思いっきり喧嘩売ってるような気がしますが、高校の先生はどう受け止めたんだろ。

ただね、僕は中学校の評議員をやっています。
授業を見てくれと言われたから、教室の後ろに立って見るのは嫌だと答えました。そして、空席を作ってもらいました。
ドリフの学園コントのように、僕も樹業に参加しました。
隣の席の女の子が、親切に教科書を見せてくれました。
「ホレテまうやろー!」
で、僕は驚愕するのです。
いまの中学校の数学も、英語も、驚くほどわかるのです。
というか、わかりやすく面白く工夫されています。
「あれ、なんで俺は、これが嫌いだったんだ?」と思いました。
そして、なんとなくわかったのは、
「わかんねー、自分には無理だー」と思っていたから、
わかんなかったんだろうなあ、ということです。
「わかろう」としたら、わかるんです。

てことは、大事なのは、子ども達に「わかんねー。自分には無理だー」という「あきらめ」を教えないことかも。

では、いつ、子ども達は、あきらめを身につけるのか?

だってね、小学校1年生の時、教科書が全部輝いていました。
ノートに早く書きたかったです。鉛筆使いたかった。
はやく勉強したかった。
それが、いつの間にか、苦手科目ができるんです。

それは、おそらく、大人のため息と、眉間のシワです。
テストの点数がよくない時に、「はあーっ」と
あきらめのため息をついたり、眉間にシワを寄せたりすると、
こどもたちは、もう、そういう親の顔を見たくないから、
その教科から逃れたい一心になるかもしれません。

僕も子どものころ、テストの点数が悪かったです。
でも、悪いなりにも、自分なりに頑張って解けた問題を説明しても、「そんなのどうでもいい。そもそも、この点数はなんだ?」と言われてしまって、がっかりした記憶があります。

子どもに、あきらめかたを教えなければ、
子ども達は、勉強を嫌いにならないかもしれません。
だから、ため息と、眉間のシワをやめて、
にこやかに、「この問題とけてるじゃん!どんな勉強したの?」とか言ってみたらいいかも。

まちがっても、怖い顔して、「どこが良かったのか、説明したまえ。」じゃ、ダメですよ。