植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

安さには意味があります。

僕は、値切るのが苦手です。
なぜなら、それは、相手の価値を下げる行為だと思うからです。
 
相手がせっかく計算して付けた値段を値切るということは、
相手に損をさせるということです。
言ってみれば、相手に「お金をくれ」と要求しているのと同じに思えてしまうのです。
 
そして、値切られて損をしてしまう人たちは、
やがて、最初から、値切られる分を乗せた値付けをするようになります。
 
以前、工場の建物を建設中に、建設を請け負ってくださった企業の方が作った書類に不備があったことがありました。
その方々は、すぐにお詫びに伺います。と言いました。
僕は、来なくていいよと言いました。
だって、その人達二人の人件費と移動にかかるお金と時間が無駄です。
そして、その費用は、きっと工事費用に乗っかります。
それを払うのは、僕です。
 
昔は、トラブルが起きたら、すぐに呼びつけて土下座させる経営者は少なくありませんでした。
でも、そういう人たちは、土下座台を取られていることを知りません。
ガンガン怒ってスッキリしてるかもしれないけど、
かならずかたきを取られていることに気がつくべきだと思います。
 
最近、とんでもない事件が多いです。
建物のくい打ちのデーター改ざんや、
廃棄された食品の横流し販売や、
異常に安価なバスツアーの引き受けや・・・
これらは、端から見たら、「なんでそんなことを・・・」と思えるような事ばかりです。
でも、そうしないといけないから、そうしているのだと思います。
過剰な値引き要求があるからこそ、それに対応するビジネスが生まれます。もちろんそれは、正規の方法では対応出来ないから、違法がまかり通るようになります。
過剰な値引きを要求した人たちは、結果的には、より高価なお金を払う羽目になるのです。
そして、社会もその負担を負う羽目になります。
 
僕の講演も、値引き要請がある事があります。
そういう人に限って、自分の講演会に来てくれたら、「影響力がある。」「波及効果がある。」と言います。
中には「これだけあれば十分なはず」と、僕の原価計算をしてくれる人もいます。
こういうケースで、波及効果があった例は無いです。
むしろ、マイナスの波及効果が大きいです。
安価に僕をよんだことを、まわりに自慢する人がいると、
その人の周辺の人から、安価な講演依頼がどんどん来ます。
 
僕の体は一つしか無いのです。
僕には、やりたいことと、すべきことがあります。
そのなかで、講演は、実はかなり非効率なのです。
移動に時間がかかります。リスクもあります。
だから、講演を減らしたいのです。
特に、大人向け、一般向け、希望者向けの講演は減らしたいのです。
減らすために、値段を高く設定しています。
減らすための値段です。だから、値切られても、応じることは無いです。
 
そして、「自分の用意できる範囲」でよんでくれるケースは、
波及効果はないです。
なぜなら、外に働きかけないからです。
自分で用意できない金額になると、いろんな人に働きかけて、説明して、お金を集める事になります。
その過程において、波及効果が生まれます。
 
欲しいものを手に入れる過程もおなじかもしれません。
努力してがんばって手に入れるのと、
値切って安価に手に入れるのでは、
品物が同じでも、自分にとっての大切さが変わるかも。
そして、値切って手に入れたものは、もしかしたらコピー商品かも。
 
昔、「安さには、意味があります。」
というコマーシャルがあった気がしますが、
同感です。
安さには、安さの理由があります。
それは、時には、恐ろしい理由かもしれません。
 
(ちなみに僕は、スーパーで牛乳を買う時は、賞味期限が短いのを買います。だって、すぐに飲んじゃうもん。その日に飲んじゃうことがわかってるのに、賞味期限に余裕があるのばかりを選んだら、賞味期限が短い牛乳が廃棄されます。その廃棄分の値段は、回り回って自分が負担すると思うから、僕は、賞味期限が短い牛乳を選んでいます。)