植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

お金に換えられないサイン。お金に換えられるサイン。

時々、講演会などを主催してくださる方から、お願いをされることがあります。
それは、
「協賛してくれた人へのお礼として、サイン本を提供したいから、サインをしてください。」です。
クラウドファゥンディングでもそうでしたが、
僕のサイン本が返礼品になってることがありましたが、
それは、返礼という言葉を使っているけど、本当は販売のような気がします。
まるで、自分の講演の費用をまかなうために、僕がサイン本などを生産してる状態です。
なんだか、自分が切り売りされてるような気がします。
 
もちろん、本にサインをするのは、嫌ではありません。うれしいことです。
でも僕は、本にサインをするときは、本に折り癖などをつけたくないから、
そーっと開いて、ゆっくり書きます。だから、かなり時間がかかります。
それを、100冊、200冊、を当然であるかのように求められると、すごく困ります。(というか、僕の許容値が低すぎるのか?何冊くらいが相場なんだ?)


 
また、時々、講演の主催者から、講演の集客を頼まれることがあります。
それも、僕としてはかなり不思議な気がします。
だって、だったら、僕が講演をプロデュースすべきでは?(しないけど)
 
僕がお話しできるチャンスを作ってくださることはありがたいです。
でも、やるからには、集客やお金を集める努力は、自分たちでやってほしいです。
僕に集客や集金の仕事をさせないでほしいと思います。
 
僕は、そもそも学校でお話しをしたいのです。
だから、こういう無茶な依頼が多いと、ますます、一般向けの講演を引き受けたくなくなります。
 
今日来てくれた子達も、本当に朗らかで素晴らしい子達でした。
彼らは、修学旅行なのに、荷物増えちゃうのに、わざわざ僕の本を持ってきてくれて、
サインを求めてくれました。涙でそうでした。
他にも、沢山の子達が、ロケットやしおりに、サインを求めてくれました。
未来ある子達のためなら、ナンボでもがんばります。
先生も、バスが出発したいんだろうに、怒りもせず、子ども達を待ってくれました。
そういう、お金に換えられない、うれしいサインもあります。
お金に換えられるサインは、あんまりしたくないです。