植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

マニュアル化された作業でも、人によって差が出てしまう理由。

言われたことを、言われたとおりにやる仕事は、沢山あります。
マニュアルが完備されていて、基本的にマニュアルに従うことが必須な仕事も沢山あります。
しかし、そういう仕事をしても、働く人によって差が出ます。
 
たとえば、コンビニ。
すべきことはかなり詳細にきまっています。
しかし、人によって、作業の量と質に、すごく差が出ます。
 
レジ袋に品物を詰めるにしても、
バランスよく、さっさと詰めていく人もいれば、
「そりゃないだろう」という詰め方をして、
途中でやっぱりまずいって気がつくのか、
入れたもの全部出して、ちがう袋出して、入れ直すけど、
やっぱり「そりゃないだろ」な感じで・・・
 
おそらく、たとえマニュアルがかなり完備された仕事でも、
人間の裁量は、その仕事の質や量に、ものすごく影響を持つのだと思います。
 
では、どんなことが差になるのか?
おそらく、自分が知覚した現象事象を、情報として蓄積し、
それに基づいて仮説を立て、検証し、そこで得られた情報を元に、
さらなる改良を加える、ことができるのと、できないのとでは、
ものすごい差になるのだと思います。
 
教えられたことや、命じられたこと、マニュアルに書いてあることしか、情報として認識できないひとがたまにいます。
そういう人は、自分の身の回りで起きていることを、情報として認識していないことが多いです。
 
たとえば、小学生がロケットを作るときは、彼らはまわりにすごく注意をはらっています。
僕が誰かにコツをおしえたり、誰かのやったことを褒めたりしたら、彼らはすぐに、そのコツをまねするし、褒められたところをまねします。
だから、1人に教えたら、そのまわり全部に、あっというまに情報が行き渡ります。
しかし、高校生くらいになると、わからなくなったら、停止します。そのままです。
僕がある人にやりかたを教えたら、隣の子も、「あ、僕もわかりません」です。
「いま、おなじことやってたよね?みてなかったの?」と思います。
だから、ロケットを作るとき、もっとも速くて確実なのは、小学生です。
もっとも遅くて不正確なのは、高校生や大学生です。
高等教育を受ければ受けるほど、与えられた情報以外を認識できなくなる傾向が見られます。

そういう人達は、誰かが困っていても、手を貸そうとしません。
助けを求められても「え?誰に言ってんの?おまえじゃね?おれ関係ないし。」みたいな感じです。
 
そういう人は、おそらく、誰でもできるような、比較的単純な作業であっても「つかえない」と判断されるのだろうと思います。
 
これから、ロボットがどんどん増えます。
単純な仕事は、どんどん自動化されます。
それでも、自分で情報を収集し、自分で考え、自分で行動する人間は、
かならず必要とされます。
しかし、入力された情報しか記憶できず、命令されたことしかしない人は、もうすでに、「つかえない」可能性があります。
 

受験を意識しはじめた頃、
大人は、「テストに関係あることが価値あること。テストに関係の無い趣味や興味は、テストにマイナスの影響を与える害悪。」と教えてしまうことがあります。
これをやってしまうと、人間の行動原理は「自分がやりたいか?」ではなく、「他人からどう評価されるか?」になります。
または、「他人から評価されることだけやっておけばいいんだろ。」という、変な要領のよさを身につけてしまいます。
これこそが、「つかえない」人を生み出す原因じゃないかな、と僕は思っています。
 
だからこそ、勉強も部活も大事だけど、趣味も大事にしてほしいです。
興味と好奇心。とくに、学校の成績や評価に関係のないことも大切にしてほしいです。
それは、大人にも言えることだと思います。