人を値踏みするのは、世界を小さくする行為。
今から、16年ほど昔、マグネットの仕事を必死でやってる時代の僕は、人と出会うと、「この人は僕にとって、どんなメリットがあるかな?」「この人は、どう利用できるかな?」と考えていました。
僕の基準で、僕にとって役にたつかどうかの値踏みをしていました。
そして、役にたたないと思ったら、関わりませんでした。
僕はそれを、合理、だと思っていました。
でもこれは、とてもさもしい考え方だったと思います。
僕は、やがて、児童虐待を無くしたいと思うようになります。
その頃に、永田先生に出会えました。
そのとき、僕は、「この永田先生のロケットエンジンが実用化できたら、きっと、宇宙は手の届かない場所じゃなくなる。いままでは、宇宙は、不可能の象徴だったかも知れないけど、このエンジンがあれば、夢をあきらめない象徴になるかも。これは奇跡のエンジンだ。」と思いました。
そのとき、僕は、永田先生のカムイロケットエンジンを、自分ならどう支えられるのかを考えました。
そのときから、人の出会いが変化しました。
僕は、沢山の素晴らしい人と関われるようになりました。
というか、それまでも、そういうチャンスはあったのだと思います。
でも僕が、それを値踏みして台無しにしていただけです。
他人を値踏みすると言うことは、この素晴らしい世界を、自分の理解の範囲内に閉じ込めてしまう行為でした。
僕は、中学生の頃に、アドルフ・ヒトラーさんの「わが闘争」を読みました。
その本の中で彼は「価値のない命」という表現を使っていました。
でも、その「価値」とは、彼の判断です。
誰かを、「こいつらは、役にたたない。無価値だ。」と決めつけるのは、
僕がやっていたことと同じだった気がします。
でもそれを、現在もやってる人は少なくないです。他人に対しても、自分に対しても。
人間ほどわけわからんものはないです。
だからこそ、奇跡が沢山隠れていると思います。
だから、人と出会ったときは、「どう利用できるかな?」ではなく、
「どうやったらもっとよくなるかな。」を考えたらいいと思います。
それは、きっと、奇跡を連鎖的に生み出します。
そういう経験をしたことがある人は、きっとうなずいてると思います。
そういうのって、ありですよ。
だまされたと思って、人の見方をちょっと変えてみたらいいんじゃないかなと思います。
自分を責めないで
なにをしていいのかわからない。
なにができるのかわからない。
なにかやっても、うまくできない。
自分には、自慢できるようなところが何もない。
普通のひとより、不器用で下手くそだ。
だから、
なにをしていいのかわからない。
なにができるのかわからない。
こんな自分は、働く事なんてできない気がする・・・
と、思い込んでしまっている人は、少なくないかも。
実は、
なにをしていいのかわからない。
なにができるかもわからない。
という状態は、自信がないから、自分の考えることを信じられない状態です。
この状態から抜け出すためには、自信を増やすことが一番効果的です。
んなことはわかってる。自信が無いから困ってるんだ。
という人は沢山いると思います。
そういう人は、自分の自信が、いつから無くなったのかを考えてみるといいかも。
以前、植松電機に来てくれた女子大生に、ロケット作ってみる?と言ったら、
彼女は、「私は不器用だから無理です」と言いました。
僕は、「いつから不器用なの?最初から不器用だった?」と尋ねたら、
彼女ははっとした顔になりました。
そして、しばし考えてから、「小学校の3年生か4年生のときに、工作を評価されてから不器用になったかも・・・」と言いました。
もちろん、彼女の作ったロケットは、猛烈な勢いで空に飛んでいきました。
彼女は不器用じゃなかったです。
自信を失うきっかけは、
どこかで、だれかに、比べられたり、負けたりしたことが、原因かも。
でもね、じゃあ、勝っていたら、褒められていたら、それは自信になったのかな?
残念ながら、誰かに勝つことや、比べられてよい評価されることを自信にしてしまうと、
逆に自信を失います。
なぜなら、勝ち続けないといけないからです。よい評価され続けないといけないからです。
以前、北海道のある工業大学の子達が、北大の子達と一緒に作業をすることになったとき、彼らは、とても萎縮していました。と思えば、その北大の子達が東大の子達と一緒に作業したときは、北大の子達が萎縮していました。
学歴などを自信にしてしまう人達は、自分以上の学歴と見なす相手と出会ったら、自信を失います。だから、自分以下の学歴の人を見下すことで、自分の自信を保とうとしてしまうことがあります。それは、とてもくだらない差別だと思います。
だから、「よい評価」や「悪い評価」に影響を受けるのは、本当の自信ではないのかもしれません。
本当の自信とは、お金で買えません。誰かに勝っても、人を見下しても手に入りません。
そして、勝負を避けても、本気を出さないようにしても、一人ぼっちでも守れません。
本当の自信は、やったことがないことをやると増えます。
ということで、
なにをしていいのかわからない。
なにができるのかわからない。
だから何もしない。
は、最もよくないマイナスの連鎖になります。自信が増えないです。
なにをしていいのかわからない。
なにができるのかわからない。
のなら、だまされたとおもって、誰かの誘いにのって、
やったことがないことをやってみると、必ず変化が起きます。
もちろん、はじめてやることはうまくいかないことが多いでしょう。
そのときも、誰かと自分を比べるのではなく、自分として、できるようになったことや、
知れたことを、素直に喜んで、もう一度やってみたらいいです。
もちろん、まるで相性の悪いこともありますから、それはそれでデーターとして、
また、ちがうことをやってみたらいいです。
このとき大事なのは「誰かの誘いにのって」です。
自分の意志で求めるものは、自分の既知の範囲であることがおおいです。
それは、あんまり劇的な奇跡につながりにくいです。想定の範囲内で収まるかも。
だからこそ、「他人」という「よくわからない」存在がとても効果的です。
比べる自信は、間違った自信です。追いかけるほど自信を失います。
本当の自信は、比べなくても成り立ちます。
そして、僕は、本当の自信とは、「なんとかなりそう」と思えることかなと思います。
すなわち「不安」ではない状態です。
不安は、不安がってると、不安のままです。
でも、なぜ不安なのか考えて、対策すると、不安ではなくなります。
このとき、対策するために必要なのが、知識や経験です。
知識や経験が多ければ多いほど、不安を対策しやすくなり、不安が減ります。
そして、知識や経験を増やすのは、「やったことがないことをやる」が効果的です。
自信については、ずーっと考え続けていますが、いまだにうまい表現の仕方を模索中です。
なかなかうまく表現できないなあ・・・。
「人の役にたつ」とは「言うことを聞く」ではないよ。
苦行を与えるよりも、論理的な思考を育てる方がいいと思う。
先に生まれてしまった人達の役目
今日は赤平は小雨なかんじ。車のイベントとスポシューと。
現在、赤平は小雨です。
今の雨は、突出した雨雲によるもので、おおよそ1時間でやみそうです。
その後、すこし大きめの雨雲がやってきますが、6時間ぐらいで通過の予定。
ですから、13時か14時には、雨雲は通過するでしょう。
今日は、トロフェオ・タツィオ・ヌボラーリというイベントが11時から14時くらいまであります。
タツィオ・ヌボラーリさんという、伝説の名ドライバーの名前を冠する、クラッシックスポーツカーのミニラリーです。
昨日のようなばかげた雨ではないものの、
0.5ミリ程度の小雨の中の開催になりそうです。
昨日は、赤平はすごい雨でした。
さっき、予定の草藪を見てきましたが、足場はかなり悪い感じ。本気のサバゲなら、このくらいものともしないと思いますが、初心者が多いスポシューでは、ちょっと迷います。
場合によっては、インドアでのホーガンズアレィのようなものでもいいかなと思っています。
建物の中で、複数のターゲットを用意し、射手は歩きながらターゲットを見つけ次第、ターゲットを撃ちます。
そのタイムと、ターゲットの点数で競う、という感じです。
以前、新事務所の三階でやりましたが、さすがに狭かった。
ということで、今回は、ARC−1を使おうと思います。
プラダンを使って、弾が飛び散らないようなブースを複数作って、その中にターゲットを設置。
ターゲットに近づかないと、ターゲットがどこにあるかわからないです。
しかも、ターゲットは、人質を取った犯人。
人質撃っちゃダメです。
ということで、ホームセンターあいたらプラダン買ってきます。
今日の赤平の気温は、最高で26度くらい。
それなりに暑いね。
着替えなどの用意もした方がいいかとおもいます。