植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

負けん気は大切だけど要注意。

僕は、負けん気が強いかもしれません。
でも、負けん気は大事だけど、
負けん気は要注意だと、
自分にいつも言い聞かせています。

誰かに嫌なことをされたり、言われたりしたら、
人の心は傷つきます。悔しいし、悲しいです。
そんな思いをバネにして、
「いつか見返してやる!」という気持ちで
がんばれることもたくさんあると思います。
でも、「見返してやる」って、どういう状態でしょう。

他人の夢を潰すような人に、負けるもんか、とがんばって、
夢を叶えたとします。
しかし、「他人の夢を潰すような人」にとっては、
他人が叶えた夢なんて、
「そういうことできる余裕あっていいよね。」
「恵まれているからできたんだよ。」
「運がいいね。」
「そんなことして、なんになるの?」
程度にしか、感じてもらえません。
そういう人に、自分の夢に向かった努力とかを
いくら話したところで、通じないです。理解されないです。
そういう人を「見返す」ことは、可能なのでしょうか?

いつかあいつを負かしてやる。
という気持ちは、
うっかりすると、自分の能力向上よりも、
相手を追い込んだり、陥れたりに向かうことがあります。
そうなると、自分はまさに、嫌な相手と同じことをしていることに
なりかねません。

また、努力の原動力が、他人由来の場合、
その原動力がなくなったら、もうがんばれないです。
(いつか見返してやる、と思っていた人が、実は意外といい人だということがわかってしまったりとか・・・)

夢を叶えるとき、負けん気は大事です。
でも、その負けん気は、他人に向かうべきではないです。
夢を叶えるための負けん気は、昨日の自分への負けん気の方がいいと思います。

なんぼバカにされても、実は、バカにはなりません。
でも、バカにされた時に、
相手を、うらんだり、呪ったり、したら、バカになります。
バカにならないためには、
うらまず、呪わず、自分のやりたいことをやることです。
やる方法をかんがえることです。
他人の外乱なんて気にしないで。

過去の僕の経験からは、
「負けん気」よりも、「やめるわけにはいかない」、
という気持ちのほうが、
努力を強く支えてくれています。

そのためにも、自分のやりたいことが、誰かのためになる場合、
それは、やめるわけにはいかないパワーにつながるかも。
そして、自分のやりたいことが、誰かのためになるならば、
それは、いつか、立派な仕事になるでしょう。

自分がつらい思いをしたとき、
実は、自分と同じ目にあってる人は、世界にたくさんいます。
だからこそ、自分を救う方法を考えたら、
それは、世界の多くの人を救う方法になります。

でも、もし、自分を救う方法が、
「つらい目にあわせたやつを倒す」だったら・・・
それが、世界に拡散したら・・・
それは、復讐が連鎖する、テロまみれの世界になるかも。

僕は、児童虐待を無くしたいです。
暴力を交渉手段に使う人を減らしたいです。
他人の夢を潰す人を減らしたいです。
そのために、
児童虐待をした人や、暴力を振るう人や、他人の夢を潰す人を
倒して歩けば良いでしょうか?
暴力を無くしたい僕が、暴力つかってどうするの。
だからこそ、僕は、
他人に夢を潰されない人が増えたらいいと思っています。
「どーせ無理」と言われても「だったらこうしてみたら?」と
やり続けられる人が増えたらいいと思っています。


時々、子ども達が、自分の作った工作を送ってくれます。
すごい出来がいいのが多いです。
自動車のペーパークラフトで、運転席の中身まで作ってあるのが
送られて来たこともあります。
いや、そういう作品を見たら「負けるものか!」と思ってしまいます。そして、ムキになって、ペーパークラフト作っちゃいます。
オトナゲ、ゼロ。
でもね、その子に自分の作品は自慢しないよ。
がんばって、オトナゲ維持しています。