植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

健康で文化的な生活をするために必要なお金を払う努力より、安価に健康で文化的な生活を送る方法を考えるのもあり!

先日、新聞に、札幌市の母子家庭が健康で文化的な生活をするために最低限必要なお金、として、月額30万円、という数字が書かれていました。道労連の調査によるものだそうです。
 
母親1人で働いて、月に30万円?手取りで?
 
1日8時間、週に5日間働くとして、時給で1700円相当だそうです。
 
そんな仕事、どこにあるの・・・
 
でもね、本当は、この場合、注目すべきは、収入ではなく、支出だと思います。
 
健康で文化的な生活をするために、月に30万円の支出が必要だ、というのが現状だということです。
 
30万円払わないといけないから、30万円稼がないといけない。と思うのは短絡的だと思います。
僕なら、「なぜ30万円かかるのかな?」を考えます。
その内訳のなかで、減らせる部分を減らす努力をすべきだと思います。
 
もしも本当に、北海道で最低賃金を1700円にしてしまったら、ほとんどの企業が、製品の価格競争力を維持するために、
人を雇用できなくなる可能性があります。
そうしたら、最低賃金どころの話ではないです。無収入の人がどんどん増えます。
それは、破綻の方向です。
 
いやいや、みんなの所得が増えたら、みんながお金使うようになるから、製品価格は上がって、利益率が改善されて、企業だって高い給料払えるようになるよ。
という意見もあるかと思いますが、その状態になる前に、耐えられない会社が沢山あると思います。
 
生活コストが増えると言うことは、世界的な競争力の低下につながると思います。
なぜなら、人件費が高い国は、人件費が安い国に、勝てないからです。
同じ製品を作るなら、人件費が高い国は、人件費が安い国に、価格競争力で負けます。
いま、北海道の農作物を、世界に輸出しようと頑張ってる人達がいますが、その際にも、日本の人件費が高くなることは、マイナスに作用するはずです。
 
健康で文化的な生活を、低コストで得られるようにするにはどうしたらいいのか?
それを考えるべきだと思います。
なんで教育にこんなにお金がかかるの?本当に払ったお金分の価値があるの?
なんで家の寿命はこんなに短いの?もっと長く使えないの?
 
これを真剣に考えて対策しないと、北海道だけではなく、日本の経済と生活は破綻する可能性があると僕は考えています。
でもきっと、月額30万以上を余裕でもらってる人達は、こんなことどうでもいいんです。
そして、国の制度や仕組みを考えている人達のほとんどが、そういう人達です。
それでは、この、はたらけどはたらけど我が暮らし楽にならざりな状態が、改善されるはずがありません。
 
だからこそ、生活者自身が、この問題に向き合うべきです。
まず第一にすべきことは、「その支出は本当に適性なのか?本当に必要なのか?」を考えることです。そして、第二に、「そのサービスを、もっと安価に提供できないか?」を考えるといいです。
自分が「サービスをお金を払って受けるだけ」という意識では、改善できません。
自分が「サービスを提供する側」の意識になってみることが大事です。
でも残念ながら、日本では、進路指導の中で、「働く」=「雇われる」しか教えていません。
だから、状況は改善されないのかもしれません。
 
我が子の人生を人質に取られて、不安をあおられて、べらぼうな学費を言われるがままに払っている状態は、縁起商法や霊感商法とかわりありません。
おまけに、そうやって得た学歴や成績は、我が子の人生を保障してくれません。(人生の保障はありませんから。)
本当に我が子の未来を案じるならば、社会をよくする努力をすべきです。
 
人生は、「雇われる」だけではありません。
人生は、「お金を払ってしてもらう」だけではありません。
自分でもできることがあります。
その意識が、きっと、生活と社会をよりよくする可能性だと思います。
 
 

経験と人脈が増えない人は、「できない理由」「やらない理由」しか教えられないかも。

誰かが、「ペーパークラフトをやってみたい。」と言ったら、
僕だったら、
道具とか、コツとか、いろんな情報を提供できます。
 
誰かが、「ロケットを作りたい。」と言ったら、僕だったら、
道具とか、作り方とか、打ち上げる場所の提供だとか、いろんな情報を提供できます。
 
誰かが、「サバゲーをしたい。」と言ったら、僕だったら、
道具とか貸せるし、場所もあるし、イベントに誘えます。
 
誰かが、「マグロを釣りたい。」と言ったら、僕だったら、
うちの会社の人の中に、マグロを釣りに行った経験がある人がいるから、その人を紹介できます。
 
誰かが、「フェラーリに乗りたい。」と言ったら、僕だったら、
フェラーリランボルギーニを持ってる人を知ってるから、その人からアドバイスを得られます。
 
僕の、51年間の経験と、人脈は、きっと誰かの挑戦を助けるアドバイスになります。
 
でもね、もしも、経験が乏しく、人脈も狭い人だったら、どうなるだろう・・・。
 
残念ながら、「やったことがない人」は、「できない理由」しか
わからないのです。
だから、「できない理由」「やらない理由」しか教える事ができません。
「それは難しいよ」「それはお金がかかるよ」「失敗したらどうするの?」
もしくは
「そんなことしてどうなるの?」「なんの意味があるの?」
「くだらない!」「ほかにすべきことあるでしょ。」
などなどです。
 
いままで、僕の夢に「できない理由」「やらない理由」を教えてくれた人の多くが、先生という職業の人でした。
その理由はわかります。
おそらく、先生は、忙しすぎるのです。
土曜も日曜も部活をやったりしてるから、それ以外の経験を積む時間が足りません。
もちろん、新しい人脈を作るための時間も足りません。
それが、「できない理由」「やらない理由」を教えてしまう
原因になっているのかもしれません。
 
もちろん、先生の中にも、様々な経験をして、様々な人脈を持ってる人もいます。
中学生時代の僕の自信と可能性を奪ったのは先生でしたが、
救ってくれたのも先生でした。
山歩きが大好きな、世界を旅行するのも大好きな、写真も大好きな、動物や昆虫も山菜も大好きな先生が、僕を山歩きに誘ってくれました。
その多趣味な先生のおかげで、僕は、自然の中に自分の居場所を見つけられました。
成績に関係のない知識を、その先生は褒めてくれました。
それは、僕の自信になりました。体力も増えました。足も速くなりました。
もしも、この先生が助けてくれなかったら、僕は自分の存在理由を見つけられなかったと思います。
 
だからこそ、大人は、自分の経験と人脈が、増えているのかを考えるべきだと思います。
この1年間で、どんな「できなかったこと」が「できるように」なったかな?
この1年間で、どんな新しい出会いがあったかな?
それが、もしも、ゼロだとしたら、「できない理由」「やらない理由」を教えてしまう人になるかもしれません。
 
いろんな、やったことがないことをやったらいいです。
いろんな、本を読んだり、テレビを見るのもいいです。いいテレビ番組も沢山あります。
テレビ番組で僕のオススメは
(1)100分で名著
(2)アナザーストーリー
(6)世界、日本行きたい人応援団!
あとは、ディスカバリーチャンネルと、ナショナルジオグラフィックスと、ヒストリーチャンネル。ほかにも、いい番組は沢山あります。(アニメとかもいいよ)
こういうテレビ番組を見るだけでも、間違いなく、経験値は増えます。
 
人の夢をつぶす人になるのか。人の夢を支える人になるのか。
その分岐点は、とても簡単だからこそ、
意識していないと、ドリームキラーになっちゃうかも。
ぜひ、やったことがないことに、挑み続けてほしいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

未来が不安な人は、とりあえずオーバークォリティを目指してみたら?

僕は、子どもの頃、自分が会社の経営者になるとは思っていませんでした。
もちろん、担任の先生も、そう思わなかったでしょう。
親も思わなかったと思います。
 
未来は、誰にもわからないです。
これは、間違いなく言える真実です。
 
だから、わからない未来を悲観する必要もないし、絶望する必要もありません。
 
だのに、多くの人が、未来を悲観し絶望します。
わざわざ、未来を「どーせ思うようにはならない」と想像します。
そして、現在すべき努力をやめてしまいます。
ときには、この勝手な憶測の思い込みで、捨て鉢になったり、やけを起こして、
暴力をふるったり、自分を傷つけたりする人もいます。
また、他人がうまくいくのが悔しいから、他人の夢や希望をつぶしたりします。
だから、未来は、まさに思った通りに、悲観的で絶望的なものになっていきます。
 
なぜ、わからない未来を悲観するのか?
 
それは、小さい頃にさんざん言われる、
「失敗したらどうするの!」が原因かもしれないと、僕は思います。
 
「失敗したらどうするの!」という言葉は、たいていの場合、心配から発せられます。
愛する我が子が、失敗をして悲しい思いをしないように・・・という愛から発せられます。
しかし、実際には、この言葉には、愛のかけらもありません。
なぜなら、この言葉は受取手にとっては、
「失敗を絶対に許さない!」「実行も絶対に許さない強い禁止!」になってしまうことがあるからです。
同時に、「失敗したらどうするの!」は、いたずらに、未来への不安をあおります。
大人でさえ解決できないような、とんでもないマイナスを想像させます。
 
しかしこの言葉は、子どもに向けて使われるだけではありません。
大人の会議においても、かなり頻繁に使われる言葉です。
大人でも、この言葉を使われたら、何もできなくなるし、考えられなくなります。
 
だから、「失敗したらどうするの!」という言葉は、使わない方がいい言葉です。
もしもこの言葉が頭に浮かんだときには、ぐっとこらえて、
「いやいや、失敗したとしたら、自分ならどうするかな?」と考えるべきです。
そう考えたら、自動的に、「どんな失敗が、どんな確率で起こるかな?」が予想できます。
そうすれば、対策は、より具体的なものになります。
 
「失敗したらどうするの!」な人達を納得(というか、安心)させるためには、
起こりえる失敗のパターンを箇条書きにし、それぞれの対策もしっかりまとめることです。
そうすれば、「失敗したらどうするの!」という言葉に負けなくてすみます。
同時に、未来を悲観しなくてすむようになります。
 
未来はわからないです。
だから、悲観しなくていいです。
大事なのは、いますべきことをすることです。
とりあえずは、未来が「よりよく」なるようなことをすべきです。
その際に重要なのは、人生の時間は有限なので、
その人生の時間を「プラス」に使うことです。
「あきらめたり」「やめたり」「とりあえずなにもしない」は、プラスにならないことが多いです。
「知恵」と「経験」と「人脈」が増える努力をすると、それはプラスになることが多いです。
また、「人脈」について言えば、「安易な人脈」で得られる成果は、低レベルです。
「困難な人脈」で得られる成果は、高レベルです。
ハードルを越える努力をすると、そこには、同じくハードルを越えてきた人が集います。
趣味にしても、なんにしても、ちょっとやり過ぎぎみ、は、とても大事です。同じくやり過ぎな仲間が集まります。
 
とりあえず、人生をプラスに使う努力をしたら、
未来は、なんだかしらないけど、どんどん明るくなります。
めざせ、オーバークォリティ!
人生は質だよ!兄貴!(わからなかったら、ガンダムを見るべし)
(最良なのは、質×量だけどね。)
 

マニュアル化された作業でも、人によって差が出てしまう理由。

言われたことを、言われたとおりにやる仕事は、沢山あります。
マニュアルが完備されていて、基本的にマニュアルに従うことが必須な仕事も沢山あります。
しかし、そういう仕事をしても、働く人によって差が出ます。
 
たとえば、コンビニ。
すべきことはかなり詳細にきまっています。
しかし、人によって、作業の量と質に、すごく差が出ます。
 
レジ袋に品物を詰めるにしても、
バランスよく、さっさと詰めていく人もいれば、
「そりゃないだろう」という詰め方をして、
途中でやっぱりまずいって気がつくのか、
入れたもの全部出して、ちがう袋出して、入れ直すけど、
やっぱり「そりゃないだろ」な感じで・・・
 
おそらく、たとえマニュアルがかなり完備された仕事でも、
人間の裁量は、その仕事の質や量に、ものすごく影響を持つのだと思います。
 
では、どんなことが差になるのか?
おそらく、自分が知覚した現象事象を、情報として蓄積し、
それに基づいて仮説を立て、検証し、そこで得られた情報を元に、
さらなる改良を加える、ことができるのと、できないのとでは、
ものすごい差になるのだと思います。
 
教えられたことや、命じられたこと、マニュアルに書いてあることしか、情報として認識できないひとがたまにいます。
そういう人は、自分の身の回りで起きていることを、情報として認識していないことが多いです。
 
たとえば、小学生がロケットを作るときは、彼らはまわりにすごく注意をはらっています。
僕が誰かにコツをおしえたり、誰かのやったことを褒めたりしたら、彼らはすぐに、そのコツをまねするし、褒められたところをまねします。
だから、1人に教えたら、そのまわり全部に、あっというまに情報が行き渡ります。
しかし、高校生くらいになると、わからなくなったら、停止します。そのままです。
僕がある人にやりかたを教えたら、隣の子も、「あ、僕もわかりません」です。
「いま、おなじことやってたよね?みてなかったの?」と思います。
だから、ロケットを作るとき、もっとも速くて確実なのは、小学生です。
もっとも遅くて不正確なのは、高校生や大学生です。
高等教育を受ければ受けるほど、与えられた情報以外を認識できなくなる傾向が見られます。

そういう人達は、誰かが困っていても、手を貸そうとしません。
助けを求められても「え?誰に言ってんの?おまえじゃね?おれ関係ないし。」みたいな感じです。
 
そういう人は、おそらく、誰でもできるような、比較的単純な作業であっても「つかえない」と判断されるのだろうと思います。
 
これから、ロボットがどんどん増えます。
単純な仕事は、どんどん自動化されます。
それでも、自分で情報を収集し、自分で考え、自分で行動する人間は、
かならず必要とされます。
しかし、入力された情報しか記憶できず、命令されたことしかしない人は、もうすでに、「つかえない」可能性があります。
 

受験を意識しはじめた頃、
大人は、「テストに関係あることが価値あること。テストに関係の無い趣味や興味は、テストにマイナスの影響を与える害悪。」と教えてしまうことがあります。
これをやってしまうと、人間の行動原理は「自分がやりたいか?」ではなく、「他人からどう評価されるか?」になります。
または、「他人から評価されることだけやっておけばいいんだろ。」という、変な要領のよさを身につけてしまいます。
これこそが、「つかえない」人を生み出す原因じゃないかな、と僕は思っています。
 
だからこそ、勉強も部活も大事だけど、趣味も大事にしてほしいです。
興味と好奇心。とくに、学校の成績や評価に関係のないことも大切にしてほしいです。
それは、大人にも言えることだと思います。


飛行場は、ショッピングセンターと競合すべきじゃないと思う。

現在は千歳空港。
休日の千歳空港は、駐車場の混雑が絶望的なので、かなり早めに出てきました。

しかし、大変だったのは、途中です。
栗山〜長沼のあたりで、なぜが大渋滞。
なんで?
お祭りがあるから?
はやめにでていてよかった・・・

新聞に、空港の見送りを、手荷物検査場の内側までできるようにしようかな、みたいなことが書いてありました。
なんでも、そうすると、搭乗待合室の商業施設の利用がもっと増えるかも・・・らしいのですが、
手荷物検査の無い電車じゃないんだから。

もし実現するなら、
手荷物検査場の能力を、今の3倍くらいにして、
搭乗待合室の容量も、いまの3倍くらいにしないと、
繁忙期には対応出来ないと思います。
飛行機に乗る人は、ある程度覚悟して機内持ち込みできない物を身につけないようにしたりとかすると思いますが、
見送りの人は、そんな準備はしてこないでしょう。
だとしたら、手荷物検査場の仕事はものすごく増えるかも。

米国では、僕が利用したときは、
全員が靴まで脱いで、手荷物検査の準備をしていました。
テロ防止のための、空港を利用する人達の協力体制に驚きました。

何度か書いていますが、空港は、飛行機を安全に運行するための特殊な施設だと思います。
その施設の稼働率を上げるために、離着陸の支援装置を改善したり、除雪の能力を高めたり、手荷物検査の速度をあげたり、荷物をあずけたり、出したりする速度を上げるなら理解できるけど、
空港の商業施設の利用を増やすために・・・というのは、
目的を逸脱してると思います。
そもそも、千歳空港のそばには、旧千歳空港の跡地を利用した商業施設があるじゃん。そっちをもっと充実させるべきでは?

空港は、物流の重要な拠点だと思います。
アウトレットモールや、ショッピングセンターと競合してる場合ではないと思います。

明日は、NHKで生放送。
テレビの生放送出演は、はじめてなので、じゃっかん不安です。

9月25日は、NHKのごごナマにださせてもらえます。

9月25日 (日曜日マチガイ)=月曜日でした。
ごごナマという番組に出ることになりました。

今回は生放送1時間だそうです。
どうなることやら。

一緒にでてくださるのは、「アハ体験」でよく知られる、
脳科学の茂木先生。
以前、茂木先生のラジオにだしていただいたことがありますが、
とても興味と好奇心の幅が広い、素敵な人でした。
今回は、初めての生放送で緊張していましたが、
茂木先生がでてくださると言うことで、ちょっと安心。

www4.nhk.or.jp

どうにか北海道に帰れそう。

現在、福岡空港
どうやら、台風はまだ到着していない。
1430の千歳行きは、無事に飛びそうです。よかった。
 
今日のアクロス福岡は、
青年会議所の主催でした。
だから、ちょっと心配してました。
いままで、青年会議所の講演会では、中学生や高校生を集めます!と言ったものの、実際にはまるで集まっていない、というのが、よくあるパターンだったからです。
 
しかし今回は、会場びっしり人。高校生。
なんでも、45校をまわって説明してくださったそうです。
 
努力は裏切らないです。
ときどき、「あの努力は何だったんだ」と、努力が無駄になった感じをおぼえることもあるかと思いますが、
それは、間違った努力をしていただけです。
努力は裏切らないです。
 
いままでに、青年会議所主催で、中高生を沢山集めてくださったケースは、すべて、メンバーがものすごく努力して、沢山の学校に説明に行き、学校の先生と仲良くなる努力をしています。
学校に行って、チラシ置いてくるだけでは、たいていだめです。
仲良くなる努力が必要です。
 
明日は、スポーツシューティング。
赤平は、昨日、今日、明日と好天のようです。
外で遊べる最後かな。
のんびり撃ち合おうと思います。