植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

嫌な人に出会ってしまったら

僕は、嫌な人にであった時には、
「こいつ、嫌だ」「こいつ、嫌いだ」と思ってしまうけど、
そこで思考をとめないように気をつけています。

僕は、「なぜ、僕は、この人を嫌いだと思うのかな?」と考えます。
そして、「なぜ、この人は、こういうことをするのかな?」と考えます。
きっと、理由があるはずです。

考えるのは、とても自分勝手な行為です。
相手の情報は、圧倒的に足りないです。
でも、考えることで、いろんなことが見えてきます。
気がつかなかったことに、気がつけます。

自分が考えた「嫌な行為の理由」は、
外れていることもあります。
そうしたら、また考えます。

小学校の頃の同級生に会うと、
小学校の頃に、僕に暴力を振るった先生の話しになることが多いです。
多くの同級生は「殺してやりたい」と言います。
僕も、何度もそう思いました。
(おそらく、高齢だったので、もうすでに無くなってるような気がします。)
でも僕は、その先生が、家で旦那さんに暴力を振るわれていたような気がします。一度だけ、顔に痣をつけて学校に来ていたことがありました。「私、なぐられてきたの。」と言っていたような気がします。
もしかしたら、その先生は、家で夫にDVされていて、
その鬱憤を、学校で、弱きものに発散していたのかもしれません。
だからぼくは、DVも無くしたいです。
だから、DV防止の講座も受けました。

でもね、もしかしたら、本当に、その先生は、
信じられないほどにひどい人なのかもしれません。

でも、僕の中では、彼女は、可哀想な人だったのかも、と
思えています。だから、嫌だけど、うらまないです。
それで、僕の心は、かなり楽になったのです。

以前にも書きましたが、
自動車を運転している時に、
いきなり追い越してきて、目の前に割り込んでくる車がいたら、
だれもが驚き、そして、腹が立つでしょう。
僕も同じです。アドレナリンが出ます。
むかしは、そこで、パッシングしたり、クラクションならしたり、
あおったり、ということもありました。
すると、とても危ない状態になったことがあります。
だから僕は、いまでは、そこで、「ああ、この人は、きっとうんこ漏らしそうなんだ。ピンチなんだ。」と思うようにしています。

ただそれだけで、アドレナリンが消えていきます。
興奮がおさまります。
腹も立たなくなります。
優しい目で、「ああ、急ブレーキ踏むと、出ちゃうよ。」
「ゆっくりはスムーズ、スムーズははやい、だよ。」と思えます。
「ゴッドブレスウィズユー」と思えます。

一緒にロケット開発をしている永田先生は、
僕のことを「私怨を公憤に変換できる希有な人だ。」と
表現してくれたことがあります。
でもきっと、そうしないと、僕は、暴力を行使する人間になりそうなのだと思います。

僕の父は、問答無用の暴力の人でした。
怒りや不快を体で表す人でした。
僕の母さんも、鼓膜が破れるほど殴られました。
僕は、母さんを怒鳴り暴力をふるう父が嫌いでした。
だから、僕も、父には木魚のように殴られました。
僕の記憶に、それがあります。
だから、僕も、それをつかってしまいそうな恐怖があります。
ときどき、おさえられないほど腹が立つこともあります。
完膚なきまでに、やっつけたくなることもあります。
でも、そんなとき、考えるのです。
「なぜ、僕は、この人を嫌いだと思うのかな?」
「なぜ、この人は、こういうことをするのかな?」

人生は短いです。
その短い人生を、復讐心に燃えて過ごすのは、もったいないと、
僕は思います。
人を見返してどうしますか?土下座させますか?泣かせますか?
それは、自分に対して、それをやった人と、
同じことをしているのだけではないでしょうか?
そして、それをやってしまったら、ほかの人にも
それを行使できるようになってしまうかも。

自分の夢や可能性を奪われた人の中に、
他人の夢や可能性を奪ってしまうようになる人がいます。
僕に暴力をふるった人は、きっと、
誰かに暴力をふるわれた人だと思います。
僕の夢を否定した人は、
きっと誰かに、夢を奪われた人だと思います。

だから僕は、その連鎖を断ち切るために、考えます。
その考えを、しゃべります。ここに書きます。
もしかしたら、仲間ができるかも、と思って、書きます。