暴力に愛があるかどうかなんて証明できません。
保護者の中には、
「先生、うちの子がダメだったら、ガツンとやってくださいよ!」
ということを言う人がいます。
そういう人は、
「自分が子どもの頃は、先生に殴られるのは当たり前だった。でも、そこには愛があった。」
なんてことを言います。
よかったね。愛のあるゲンコツで。
僕は小学生の頃に、散々殴られました。
壁まで吹っ飛ぶほどのビンタです。
なんどもやられています。
先生の気分次第です。
いまでも、その頃の同級生に会うと、「殺してやりたい」という人もいますから、僕以外にも、その先生に愛を感じなかった人はいたのだと思います。
でも、その先生は、僕らを「教育」したのだと思います。
DVや児童虐待をしてしまう人の多くが、
「しつけです」「教育です」「あいつのためを思って・・・」
と言います。
そこには「愛」があります。
会社でパワハラやモラハラをする人も、
「教育です」「あいつのためを思って・・・」「コミニュケーションです」「自分はわざと憎まれ役をやってるんです」
ということを言います。
そこには「愛」があります。
言ってもわからないから、暴力も必要だ。
という意見もよく耳にしますが、
それは、あなたの説明指導能力に不足があるのでは?と思います。
言ってもわからない人には、暴力使っていいの?
実際、空港のカウンターや、お店屋さんで、
店員さんに、暴言吐いて、机をドンドン叩いてる人がいますが、
ああいうのは、オッケーということですかね。
愛や教育ということばで、暴力を容認する風潮がある限り、
この世から暴力は無くならないでしょう。
だから僕は、暴力も体罰も、認めません。
というか、
そもそも暴力は、法律で禁止されているってば!