植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

制裁は司法の仕事です。私的制裁はしてはならないです。

先日、NHKの番組で、報道が戦争をあおった、というのがありました。
 
そこでは、報道が公平ではないことも描かれていました。
 
そりゃそうだ、と思います。
 
GATEというアニメの中でも、
報道は公平じゃない、だって、商売ですから。
という内容の台詞がありました。
 
ネット上にあふれる情報も、公平ではありません。
 
と、ここまでは、ごく一般論。
 
で、重要なのは、それらの情報を元にして、
自分が裁かない。ということです。
自分が罰を与えたり、天誅を加えたりしてはいけません。
なぜなら、それは、司法の仕事だからです。
 
私的制裁が認められてしまったら、
いつでも自分も私的制裁のターゲットになります。
日常の平穏なんてありえません。
社会秩序は崩壊します。
いま、そうなっていないのは、ほとんどの人が、私的制裁を行わないまともな社会性を身につけているからです。
ごく一部の非社会的な人が私的制裁を行っても、
その影響範囲が小さかったから目立たなかった、だけのことです。
 
先日、ある新聞社の方とお話しをしました。
その人は、新聞は公平じゃない、と言いました。
でも、新聞が裁かないように気を付けている、とも言いました。
大事なことだなあ、と思いました。
 
では、なぜ、私的制裁がダメだと思わない人がいるのか?
それは、過去に、私的制裁を受けてきた人かも。
学校や、部活で、理にかなわない私的制裁を受けたりした人は、
それが当たり前だと認識してしまうかもしれません。
学校では、体罰を容認する考え方が根強くあります。
 
最近ようやく、ネット上でのひどい書評などが、内容によっては名誉毀損などと認められるようになってきました。
これからは、ネット上の私的制裁はやりにくくなると思います。
 
大事なことなので繰り返します。
裁くのは、司法の仕事です。
個人が私的に裁いたり罰を与えたりしてはいけません。
(もちろん体罰もです。)
これが、学校教育で常識としてすべての人に認識されたら、
ネットの炎上とか、実名さらしとか、写真の拡散とか、減ると思います。
ただ、きっと、だとしたら、自分が体罰できなくなるじゃん、と思う先生は、「司法」の重要性を伝えるのは不可能でしょうね。
 
レオンという映画の中で、「人を殺すと、夜、両目をつぶって眠れなくなる。」というような台詞がありました。
人を殺したら、自分も殺される可能性が増える、というような意味だと思います。
自分がしたら、だれかにされる、と思ったら、少しは冷静になれるかも。
自分だけは大丈夫、見つからない、なんてこと、ネット社会ではあり得ないことだってわかってるくせに、匿名でひどいことできちゃう人がいます。
未来を考える能力の無い人達です。
そういう人が、なぜ生み出されるかも、別な機会に書きたいと思います。