植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

判断の結果を責める社会では、判断できない。

東北の震災で大きな被害を出した、小学校の裁判が行われています。
 
僕は、この裁判にとても注目しています。
 
その小学校では、地震の後、生徒を集めて、人数確認をしたそうです。学校が避難場所に指定されていたので、そこからさらに批難しようとしなくても、当然と言えば当然です。
でも、津波到達の数分前に、市の広報車が、想定外の津波が来ているから批難するように放送をしたそうです。
でも、そのあとの避難場所の検討にも時間がかかり、
結果的には、大勢が逃げ遅れてしまったそうです。
 
学校の先生の行動は、規定の範囲内で行動しています。
規定された避難場所から動かない、という判断をしました。
想定の範囲外の状態になってからは、
逃げる判断をした先が、被害にあいました。
だから、先生も学校もすべきことをしているといえます。
でも、それではスッキリしない人もたくさんいるはずです。
 
むずかしいのは、
想定外の事が起こったときに、規定にはない行動をとるべきなのか?
規定にはない行動をとらないと罪になるのか?
規定にない行動をとった結果、被害が増えたら、だれの責任なのか?
 
もしも、自分で判断しろ、と言われて、その判断の結果が、場合によっては自分のマイナスになるとなったら、誰も判断したくないはずです。
 
いろんな企業の研究者の方とお話しをしますが、
最近の優秀な学生は、企業の研究室に配属されても、
「どうやって進めればいいのか、指示してくれ」と言うそうです。
「自分で考えて進めていいよ。」と言うと、
「自分で考えて失敗したら、僕の責任ですか?だったら、考えたくないです。指示してください。」と言う人がいるそうです。
そういう人は、研究開発できないそうです。
 
子どもが何かをやって失敗したときに、
「あんた、なにやってんの!」
「勝手なことするんじゃない!」
「だから言ったでしょ!」
なんて言ってしまうと、子どもは、自分で考えることを恐れるようになります。
これは、子どもの思考の結果を否定する行為だからです。
子どもが考えた結果失敗したときは、失敗の乗り越え方を教える、最良のチャンスなのに、失敗を責めるだけでは、
子どもの思考力を奪うことになってしまいます。
 
でも、学校では、思考の結果を否定されることが多いです。
絵を描くときも、指導されます。直されます。
友達は、冬の景色を描け、と言われて、まずは、夏の景色を描いてから、雪を乗せようと思ったら、夏の景色を描いている段階で、先生に一方的に怒られて、やめさせられたと言っていました。
 
判断の結果の失敗を、ただ責めるだけの日本で、判断できる人は希有です。
でも本当は、判断と行動をしない方が危険です。
(なにもしない。とりあえず様子を見る。というのは、判断をしていないと同じである可能性もあります。)
でも、僕らも、ともすると、日常生活の中で、判断と行動を避けているかもしれません。
または、誰かの判断の結果を、一方的に責めたりしてないでしょうか?
そんな僕らは、この小学校の先生を責めることはできないはず。
 
この裁判が、「判断の結果の失敗を責める」風潮が、
少しでもかわるきっかけになったらいいのにな、と思います。
先生が、安心して判断できるようになったらいいなと思います。
 
飛行機の事故の中で、わりとあるのが、機長が間違った判断をしたときに、副機長がそれをただせなかったり、ただそうとしても聞いてもらえなかったり、というのが原因での事故があります。
先輩の言う事は絶対。目上を尊重しろ。という儒教的な考え方は悪くはないのですが、先輩といえども、人間だからミスを犯します。
そのミスを防ぐための副機長というシステムが機能しないのはナンセンスです。
ともすると、組織の中では、声のでかい年長者の意見が支配的になってしまうことがあります。僕は、そういう会社にならないようにしようと努力しています。
大事なのは、年長者を尊敬することではなく、
すべての人を尊重する事だと僕は思っています。
 
何度もかいていますが「失敗学」が、
もっと日本で一般的になったらいいのになあ、と思います。
メーデーという番組もすごくいいので、見て欲しいです。
(ものすごく地味な番組なので、寝てしまうかも・・・)
 
ちなみにですが、僕の会社には沢山の学校が来ます。
生徒に対して、ものすごく高圧的な学校があります。
そういう学校ほど、生徒の行動は緩慢です。
なぜなら、高圧的命令に対して出来るサボタージュは、「だらだら」だからです。だから、なおさら怒鳴られます。
そういう先生達は、生徒に素早い行動を要求しておきながら、生徒をバスに乗せてしまった後、円陣組んで先生達が打ち合わせをします。そして、ダメっぽい学校ほど、その円陣会議がおきます。おまけに、その会議の時間が長いです。
よく見ていたら、年長の声のでかい先生が威張っています。
そして、生徒は、バスの中でうんざりしています。
バスを見送ろうとして待ってる僕らもうんざりです。
(ダメっぽい学校というのは、まず、僕の会社に来ても、生徒には「挨拶しろ!」というくせに、自分たちは僕らに挨拶をしません。常にイライラしていて、生徒をにらんでいます。そのわりには、僕のお話の最中に寝ていたり、携帯をいじっていたりします。書き出したらキリが無いけど、そういう先生達は、ときどきいます。)
 
生徒も先生も朗らかで、活発な学校は、最後の円陣会議なんてないです。みんな笑いながら手を振ってくれます。先生が一番手を振ってくれています。幸いなのは、そういう学校の方が多いと言う事です。
でも、そうじゃない学校もある、ということは、知っておくべきかと思います。