植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「成功した人のしゃべるきれいごと」という思考の原因

僕は、「どーせ無理」という言葉に負けないためには、「だったらこうしてみたら」だよ。
と伝えています。でも、僕のそういう考え方は、ときどき、
「そんなのは、所詮成功した人間のしゃべるきれい事だ。」と言われることがあります。
 
さて。
まず最初に、「成功」について考えてみたいと思います。
 
そもそも、「成功」とは、どのような状態でしょうか?
多くの人は、大金持ちとかはのぞんでいないと思います。
「自分の思うようにできる」状態を、成功した状態、と思ってる人が多いように感じます。
そう思うからには、「自分の思うようにならない」状態にある人が多いという事だと思います。
そりゃそうです。世の中は、そうそう簡単には、自分の思うようにはなりません。
 
自分の思うようにならないことを、自分の思うようにするには、どうしたらいいのか?
たとえば、お店の売り上げを増やしたいけど、増えない、という状態があったとします。
それを、いくら悔やんでもぼやいても、なにかのせいにしても、現状は変わりません。
僕だったら、なぜ増えないのか考えるでしょう。その原因を、排除する努力をします。
同時に、収支を考えます。収入を増やすのと、支出を減らすのは同じだからです。
可能な限り、支出を減らすでしょう。
また、売り上げだけ増えても、利益率が低下したら、忙しいだけで儲からなくなるし、
万が一、利幅が低い状態で売り上げが減少したら、在庫と、入金と支払いのタイムラグの関係から、あっという間に資金ショートします。だから、利益率を改善する努力もするでしょう。
 
ということを、僕はやってきただけです。
だから僕は、自分が成功したとは、まったく思っていません。
思うようにならないから、思うようになるように、考えて行動してるだけです。
イメージとしては、ノルマンディーの海岸で、ばんばん敵に討たれてる中、頭をかがめて、走り回ってる感じかな。
 
残念ながら、「思うようにならない」状態を、愚痴りぼやくだけで、何もしない人は、
そうじゃない人を、「成功した人間」と思うのかもしれません。
 
ではなぜ、「何もしない」のか。
それは、問題を解決する方法を知らないからです。
学校では、問題の解き方は教えます。でも、問題の解決の仕方はあまり教えません。
むしろ、悪いケースを教えてしまうことが多いです。
たとえば、人間関係で、いじめなどの問題があったとき、
勇気を出して先生に相談してみたら、なんだかあわただしくなって、雰囲気が悪くなって、
気がついたら、「いろいろと複雑な問題だから・・・・」とか言われて、結局なんにも変わっていない。というケースを経験した人は、「大人に相談しても、適当にごまかされるだけなんだ・・・」と学習します。
または、悩み事を相談してみたら、
「そんなの気にするな」「なんでそんなのと関わったの?」「もうすぐ卒業だからがまんしな」なんて言われたら、
「ああ、自分の悩み事は、自分のせいなのか。自分が気にするから、がまんできないからダメなのか・・・」を学習してしまいます。
要するに、問題を解決できない大人は、子ども達の問題解決能力をうばうのです。
 
ではつぎに、「きれいごと」について考えてみたいと思います。
「きれいごと」ってなんでしょう?
「論理的にはわからんでもないけど、現実にはできもしないこと」かな?
さて、「現実にはできもしない」の定義は?
現実とは、どの範囲?自分の知ってる範囲じゃない?
そして、できそうかできなさそうかは、自分の経験の範囲で判断してるだけでは?
また、いままでやったことがないからできない、と思う人もいるかもしれないですね。
でも、やったことがなければ、やってみればできるようになるはずですが、
やってみないと、できる範囲も広がりません。
ということは、経験値が乏しく、関わる世界が狭く、やったことがないことをやりたがらない人にとっては、「現実にはできもしない」は、すごく包括する範囲が大きくなってしまうでしょう。
時々、ロケット教室の会場でも、子どもがロケットを作ろうと頑張ってるときに、
「あー。ちがうちがう、何やってんの!ちゃんと説明書読みなさい!」
「勝手なコトしないで、先生に聞きなさい!」
あげくは「ちがうちがう、こうだろ? なんでこんなこともできないの?」なんて言い出す人も。
こういう人達は、子ども達の思考も、経験も行動も制限してしまいます。
そんなことでは、「どうやったらできるか考える」にはならないでしょう。
その結果「きれいごと」にしか思えないことが増えていきます。
 
どうやら、「所詮成功した人間のしゃべるきれいごと」と思う人は、
「問題にであったときに、解決する方法を考えられない」人のような気がします。
 
「自分1人ががんばったって、どーせ変わるわけがない。どーせできるわけがない。
それが現実だ。」
で、問題を解決する方法を考えるのをやめてしまった人にとっては、
現実社会は、とても生きにくいと思います。
生きにくいから、なおさらに、まわりを恨んだり、呪ったりしてしまうかも。
そのままだと、まわりに絶望をまき散らす存在になってしまうかも。
 
だからこそ、「だったらこうしてみたら?」です。
問題を分析し、解決策を考え、行動する。
これができる人が増えたら、「きれいごと」なんて概念はなくなるかもしれません。