植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

命令による行動の強制ではなく、行動の意味を考えさせよう。

「静かにしろ!」
と言われて静かになる子達は、
なぜ静かにしないといけないのかわかりません。
だから、「静かにしろ!」という人がいなくなったら、
いつまでもがやがやしています。
 
「静かにしないと、大事なことを聞き逃して、損をするかもしれないよ?」
「静かにしたら、こんないいことがあるよ。」
などと、「なぜ静かにするのか?」を学んだ人たちは、
自動的に静かにできます。
そして、大切な情報を聞き逃さないです。
 
 
勉強も同じです。
「勉強しろ!」と言われて、
「なぜ勉強しないといけないの?」と疑問を感じたとき、
「つべこべ言うな。みんなちゃんとやってるだろ!おまえも言われたとおりにやってればいいんだ!」と言われてしまったりすると、「疑問をもっちゃいけないのかな?」まで考えてしまうかも?
そして、「勉強しろ!」と言われないと勉強できなくなります。
こういう人たちは、「教えてください」の人たちです。
自分で考えない。自分で選ばない。
「どんな本を読めばいいですか?」
「この本のどこが一番大事ですか?」
「そこには、なんて書いてあるんですか?」
まで質問してくる大学生も、少なくないです。
 
 
子ども達のもつ「なぜ?」に答えようとせずに、
命令と指示で子ども達を都合良く制御しようとする大人が、
子ども達の思考力を奪い、ショッカーの戦闘員にしてしまいます。
ちなみに、子どもの「なぜ?」に答えられないのは、その大人に思考力が無いからです。そして、それをコンプレックスに感じているからです。ようするに「自信が無い」のです。
昔、人口が増えて、ほうっておいてもマーケットが拡大していた時代は、それでもオッケーでした。
なにせ、仕事が増え続けるんです。
同じ事を、言われたとおりに繰り返すだけでも、十分に給料がもらえました。
でも、これからは、思考できないショッカーは、ロボットに負けます。
(ちなみに、子どもに対して、「なぜ?」と問われたときに、「つべこべ下らねえこと考えんな!」と言ってしまう人が、自分の上司に「なぜ?」と尋ねられたら、どう答えるでしょう。本当ならば、上司に対しても、子どものときと同じように答えるべきだと思います。相手を選んで行動を変えるのは、卑怯者だと、僕は思います。)
(できるかな?で有名なのっぽさんは、子どもに子ども言葉を使わず、大人と同じように尊重するよう気をつけていたそうです。)
 
僕は、プラモデルをつかって工学を教えることがあります。
自動車の車体側面にあいている穴などを指さして、「この四角い穴は、なんでここにあいてるとおもう?」なんて質問します。
いろんなアイデアが出てきます。もちろん、なかなか正解は無いです。でも、それでいいんです。
最後に、「実はこの穴はね。ブレーキを冷やした後の空気を抜くための穴なんだよ。」なんて話をして、
ブレーキが運動エネルギーを熱エネルギーに変えていることの話などをします。
すると、子ども達は、いろんな形に意味を考えてくれるようになります。
 
 
思考力が無く、自信が無く、自分より弱いものに対して威張る人間が、子ども達の思考力を奪っています。
そういう人は、子どもとかかわる仕事に就かない方がいいと思います。
でもね、そうは言っても、現実は厳しいので、
僕は現実をしっかり見つめるので、
思考することの喜びを知り、他人を尊重できる人間を増やすのが一番だということを知っています。
 
だから僕は、子ども達の質問にも、可能な限り真剣に答えます。
そして、子ども達を子ども扱いしないです。
頼って、任せて、見守って、感謝します。
 
だから、
「子どもの自主性や自由を認めたら、学級崩壊になる!」なんていう大人とは、まったく相容れないです。
でも、そういう大人もいるので、
僕は、せっせと、子ども達を支えます。
 
北風と、太陽だったら、僕は太陽がいいなと思います。