植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「他人からどう思われるか」ではなく「自分がどう思うか」が大事です。

僕は、あんまり空気が読めないと思います。
そのせいか、小さい頃から、「集団行動が出来ない」と言われていました。
 
そんな僕が、学校で一人きりのことが少なくなかったです。
高校の頃は、一人で弁当を食べることも多かったです。
でも、僕はそれが、まったく気になりませんでした。
人からどうみられているのか?が、よくわからない人間なんだと思います。
 
そんな僕だから、見えたものもあります。
 
最初は、一人のからかいや、冗談からはじまります。
されてる方も、笑っています。
やがて、それを何人かがやるようになります。
されてる方は、ちょっと戸惑いながら笑っています。
やがて、それが、エスカレートしていきます。
大勢が笑ってからかいます。つついたりするだけだったのが、
強く叩いたり、殴ったりになります。
されてる方は、痛がり、やめてと頼みます。
そうしたら、さらにエスカレートしていきます。
毎日それです。
授業中でも、されてる子が前に出てしゃべったり、黒板になにか書こうとしたら、ぼつっと悪口や、からかいの言葉が聞こえてきます。
そうしたら、みんなもクスクスわらいます。楽しんでいます。
その頃には、一緒に笑わないと、逆に「おまえなにかっこつけてんの?しらけるんだよ。空気読めよ。あいつの仲間なの?」と言われます。
やがてみんなが、「場をしらけさせないために」「のりをたもつために」からかい、わらいます。
 
やがて、その異常な状態を改善しようと、先生が調査を始めます。
でも、やったほうは、
「ふざけただけです」「からかっただけです」
と言うだけです。
そこで、調査は終了です。
された子は「気にするな」と言われます。
そして、ますますエスカレートします。
 
だから僕は、「のり」とか、盛り上がり、が苦手です。
みんながやってるから、自分もやらなくちゃ的な行動に危険性を感じます。
でも、以前、大学生がロケット教室を手伝ってくれたことがあったんですが、個々人は主体的な行動をとれません。
だれかが重い荷物を運んでいても、だれも助けません。
「手伝って!」と言われたら、「え、おれ?」「おまえじゃね?」てな感じでこちゃこちゃしています。
でも、カウントダウンを盛り上げたり、拍手したり、叫んだりは、ものの見事に一致して、不必要なまでに盛り上がります。
きっと、いつもやってることなのでしょう。
それで彼らは、満足げに、力を合わせてがんばった感を満喫していました。
その頃僕は、子ども達のロケットの不調だった機体のケアに、
グラウンドを走り回っていました。
僕は、彼らとは一緒に仕事できないな、と思いました。
 
みんながこうしているから・・・
みんなからどう思われるか・・・
ではなく、
 
自分がこうしたいから・・・
自分がこう思うから・・・
が原動力になった方がいいと思います。
 
そのためには、小さい頃から、興味と好奇心を奪わないことが大事です。
でも、残念ながら、受験を意識するあたりから、「興味と好奇心」は、「くだらない」と評価され、「成績に関係のあること」「評価に関係のあること」を強制されます。
その結果、「自分がどう思うか」を封印し、「他人からどう思われるか」を重視する思考が増えてしまう気がします。
 
それが、「付和雷同」「同調圧力」となってしまうのかも。
それは、ときには、いじめを増長させたり、いじめを防げない雰囲気を作ってしまうかも。
 
どうか、子ども達の、興味と好奇心を奪わないで欲しいです。