安全などの基準は変化していくもの
いじめの解消の定義ができたとか。
よんでみたら、ものすごい真っ当。
「本人がつらくない」ことが条件。
おそらく、「え、それ無理じゃ?」とおもう人も少なくないかと。
だって、いままでは、とりあえず、当事者同士を強制的に握手させて終了、とか、強制的に謝らせて終了、で済ましたものが、
一気にハードルが上がります。
おまけに、「いじめ」の定義はあいまいなまま。
これじゃあ、「いじめ」の認定はますます困難になるでしょう。
そうじゃなくて、
「本人がつらいと思うこと」を「放置しない」ことが大事です。
そして、本人がつらくなるのは「いじめ」とは限らないです。
ついていけない授業の進行というのも、あるでしょう。
さらには、「先生がつらい」という子もいるでしょう。
でも、その場合には、先生に相談できないね。
ある統計では、不登校の原因として、アンケート結果に大きな違いが出るそうです。
先生が調べると、先生が原因というのが、ものすごく少ないそうです。
でも、先生じゃない人が調べると、先生が原因というのも、かなりあるそうです。
そりゃそうだ。
もちろん、「本人がつらい状態を放置しない」ための方法は、
本人の改善も含まれます。
でも、それが、安全に必要なことであるなら、
たとえば、先生になるためには、先生の免許だけではなく、スクールカウンセラーの資格も必要、にするってのもありかも。
スクールカウンセラーを配置するコストがありません、というのなら、これなら人件費を抑えられるかも。
(というと、おそらく、先生は忙しいから、そんな仕事を増やされたら困る、という意見も出るでしょうが、だったら、忙しくなくする方法を考えるべきでは?)
僕の知ってる先生の中には、心理学を学び、児童虐待やいじめを防ぐためのセミナーなどにも積極的に参加してる人も沢山います。
そういう人は「ひま」だから来てるのではないです。
「必要」を感じるから、時間とお金を生み出して学ぶのです。
そういう人を僕は応援します。
これは、急激に生じてる問題ではなく、
いままであいまいにしてきたことが、あいまいにできなくなっただけのことだとおもいます。
工場や自動車に課せられる環境対策や安全対策が、年々厳しくなってるように、学校の安全などの基準も変化していくべきだと思います。
一般化するまでには苦労はあるかと思いますが、普通になったら普通です。
最近、駅のホームドアもどんどん増えていますね。鉄道会社にとっては、かなりの出費だと思いますが、新型のホームドアを開発する会社も増えました。
ホームドアになれたら、ホームドアのない駅を怖く感じるようになりました。
そういうもんかもよ。