植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

大義名分をねつ造してはいけない。

僕は、中学生から高校生くらいの頃、
「自分の事ではいくらでもがまんできるけど、ほかの人がひどい目にあうのは許せない」
という概念にとらわれていました。
誰かが、誰かに、ひどいことを言ったり、からかったりしていたら、
その間に割り込んで「お前、やめろよ」なんて、進んでからみにいきました。
そして、それが心地よかったです。
「自分は、誰かの為に頑張ってる!」ということに酔いました。

でもしばらくして気がつきました。
これは、単純に、相手を攻撃する「正義」の大義名分がほしかっただけだなと思いました。
僕は、攻撃を楽しんでいました。
そして、歴史の本を読むうちに、そういうことが、様々な戦争や紛争を大きくする
原因にもなってることを知りました。

ロイヤルウィーという言葉があります。
「我々は」「私たちは」と、自分を表現する言い方です。
これは、僕がやらかしたことに、とてもよく似ていると思います。
社会の意志、みんなの意志、常識、一般的には、という言葉で、
自分の行為や意見を、全体意見という大義名分で正当化して、相手に押しつける表現方法です。
これを使う人は、結構沢山います。

僕は、いじめや虐待をなくしたいです。
人の自信と可能性がうばわれない社会を作りたいです。
だからといって、いじめや虐待をする人にからんで、攻撃したり、倒したりしないです。
そんなことに使う時間がもったいないです。
僕は、どーせ無理に負けない人を増やした方が効果的だと思うようになりました。
だから僕は、意識して、僕の思いや考えを伝えるようにしています。

気がつけば、仲間が増えてきた気がします。
先日、沢山の子ども達を連れてきてくれた旅行会社の方は、
高校生の時に、僕の話を聞いてくれたそうです。
そして、あきらめないで、がんばって、この仕事についたそうです。
ようやく、子ども達を連れてこられるようになりました。と涙ぐんでくれました。
僕の仲間です。彼女は、彼女の方法で、いじめや虐待に対抗してくれているのだと思います。

大義名分がなければできない行動は、実力ではないと思います。
ましてや、大義名分をねつ造してはいけません。
自分の意志を理由にして、自分で行動する。これが本当の自由だと思います。