51歳になりました。今日は札幌でお話しさせていただけます。
今日は、札幌で、子ども達向けのお話しをさせていただけます。
ありがたいのは、親子で聞いていただけること。
親は、我が子の幸せを願うばかりに、
ともすると、子どもを自分の理解の範囲内に止めようとしてしまいます。
でもそれは、子ども達の正常な精神の発達を阻害してしまうことがあります。
親は、子どもの幸せを願うはずなのですが、
気がついたら、「不安から遠ざけること」になってることが多いです。
でも、そもそも、親自体が、「不安」の対処法を知らずに、
ただ不安を恐れているだけのことが多いです。
それどころか、なにが不安なのか?本当に不安なのか?さえ考えないで、「他人のうわさ話」を鵜呑みにして、不安がってることも多いです。
それは、言うなれば、風評被害や、根も葉もない噂に基づく差別やいじめと、同じような構図だと思います。
だからこそ、自分が不安だと思っていることは、本当に不安なんだろうか?
その不安の原因はなんだろう?
その不安に負けないためにはどうしたらいいのかな?
を、親自身が真剣に考えたほうがいいです。
今日は、そんなおはなしを、親子に聞いていただきたいと思います。
で、今日は僕の誕生日。
なんと、51歳になってしまいました。
なんてこった。
予定では、1999年に世界が滅ぶはずだったのに。
50年も生きると、いろんなことがありました。
いいことばかりではありませんでした。
僕はいま、子ども達のロケット打ち上げを見ているとき、
「ああ、これが僕が子どもの頃にあったら、人生変わっていただろうなあ・・・」と思います。
でもすぐに、「あ、でも、変わっちゃったら、今のこれは、無いかも知れない。じゃあ、ま、かわらなくてもいっか。」と思います。
どんな悲しいことも、つらいことも、乗り越えたら、懐かしい笑い話。
そして、乗り越えるための言葉は「だったらこうしてみたら?」です。
がんばって乗り越えていきましょう。
で、沢山のメッセージをいただいていますが、
沢山すぎて返信しきれないと思います。
ご容赦ください。
わかんなーい。のは、考える努力をやめたことの表明では?
わかんない!
という言葉は、よく聞きます。
子どもがよく使います。
でも、大人もすごく使っています。
これは、わからない、のではなく、考える努力をやめた、状態のような気がします。
子ども達のなかで、「わかんない!」をよく使う子は、
たいてい、親が過干渉です。
子どもがなにかしようとしても、口出ししまくる親がそばにいると、
子どもは、自分で判断して、怒られたり文句言われるくらいなら、
全部指示に従った方が、嫌な思いをしなくてすむ、ことを学んでしまいます。
その経験のままに大人になった人達は、考える力を失っています。
わかんない。ことは、あんまりないです。
大人の「わからない」は、どうしていいのかわからない、何をすればいいのかわからない、
ということが多いですが、それは、脳内シミュレーションでだいたい解決します。
こうしたら、どうなるかな?を考えればいいだけです。
そのなかで、投資対効果が大きいことを優先すると、すべきことは明確です。
どうなるのかがわからない?
だとしたら、なにを怯えるの?
どうも、うまくいかない気がする?
うまくいかない、というのはどういう状態?
具体的に、どんな不利益が生じるの?
たいていの場合は、根拠のない憶測の情報に基づいて不安になっています。
「成績が悪いと、大変なことになる」
「いい学校に行かないと、大変なことになる」
「不登校だと、大変なことになる。」
「正社員じゃないと、大変なことになる。」
「大企業じゃないと、大変なことになる。」
いずれも、根拠のない、憶測の情報です。
だれかが、不安をあおって、学歴を売りつけようとしてるだけかも。
不安は、不安がってると、増大します。
でも、なぜ不安なのかを考えて、対策したら、安心できます。
大事なのは、考えることです。
自分の思考は憶測ではないか疑おう。
先日、空港のラウンジのエスカレーターを降りているとき、
降りたすぐ先に、カートが放置されていました。
僕が降りたら、人の邪魔にならないように、横によけておこうと思いましたが、
僕より先に、ラウンジの女性が階段を足早に降りて、
そのカートをよけてくれました。
なんのためらいもなく、まゆもしかめず、
流れる動作で片付けてくれました。
そのとき、ふと考えました。
「だれだこんなとこにカートおいた奴は!」
「まったくマナーがなっていない!」
「こいつはきっと、わざとここにカートをおいたに違いない!」
「こんな奴がいるから、カートの貸し出しなんてやめたらいいんだ!」
と考えることもできるよなあ・・・と。
大学生のころ、僕の友人が、「いつもあの人ににらまれる」と言いました。
「きっと、自分を嫌っているんだろう」と。
僕は、そのにらむ人が、目が悪いことを知っていました。
だから、きっと彼は目が悪いから、よく見ようと思って目をしかめてるんだと思うよ、
と言いました。実際にその通りでした。
自分で勝手に物事を悪い方向に考える人は少なくないです。
でも、そういう考えの根拠をしっかり考えた方がいいです。
そのためにも、自分が考えているロジックを紙に書いてみたらいいです。
そして、なぜそう思うのかを書いてみたらいいです。
まもなく、自分の考えが、根拠のない憶測に過ぎないことがわかることがあります。
人生を、自分の憶測の思い込みで暗くするのはもったいないです。