植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

野次馬と評論家

御岳山で噴火に遭遇してしまった人達がいます。
しかし、生還できた人達が、
「なぜそんな危険なところにいったのだ?」
「そんなところに行かなければよかったのに」
という言葉で苦しめられているケースがあるそうです。

いじめや、レイプの被害者も、
「なぜそんな暗い道を歩いたの?」
「いじめられる方にも原因があったんじゃないの?」
という言葉を浴びせられてしまうことがあるそうです。

しかし、予測できない災害にあった人が、悪いでしょうか?

なぜ、レイプした人ではなく、された方が責められるのでしょう?
なぜ、いじめた方ではなく、いじめられた方が責められるのでしょう?

うちの母さんは、よく、
 「過ぎた繰言、取り越し苦労、神の授けの身をやぶる」
と言っています。

取り返しのつかない過去のことを、繰り返し思い悩んだり、どうにもならない将来のことを案じて恐れるのは、ただ心を痛め、体さえも悪くしてしまうことだ。

という意味だそうです。

過去は、未来をよりよくするためのデーターでしかありません。
過去によって、未来が悪影響を受けたり、制限されるのは、
もったいないことです。

こういうことを防ぐためには、僕らが、野次馬根性を出さないことがだいじかもしれません。
そして、そういう被害に遭わなかった自分がさも偉そうに、
「そういうことをするきみが愚かだったのだ」なんていう、
ジャッジをする必要もありません。そんな権利もありません。

つらいことは、しゃべると改善されることもあります。
しかし、聞く人が、野次馬だったり、人を見下す評論家だったりすると、しゃべることでもっとつらくなる可能性があります。

だからこそ、聞く練習も必要です。

僕もやっているCAPでは、話しの聴き方の練習もあります。
それは、すべての人が知っておくべきことのような気がします。

誰かが相談してくれた時には、
相手は、勇気を出して話しかけてくれたのだから、
(1)話しを聞く時間と環境を作る。(ながらで聞かない)
相手は、あなたを選んで相談してくれたのだから、
(2)よく話してくれたね。話してくれてありがとう。
それでも言いにくいこともあるんです。
(3)沈黙も受け入れよう。
言いにくいことは、いいことではないのです。
(4)あなたは悪くない。(安易に正論や常識でジャッジしない)
話すことで本人の理解が深まることも・・・
(5)尋問しない。調書を取らない。うなずきと、おうむがえし。
じっくり話しがきけたなら
(6)じゃあ、よりよくするために何ができるか選択枝を探そう。
がだいじです。

野次馬と、人を見下す評論家。
これは、テレビのワイドショーなどの姿です。

被害にあった人に、がんがんマイクを向けるばかりか、
被害にあった人を思いやらない報道を見ると、嫌な気持ちになるはずです。
それと、同じことを、自分もしてしまう危険性があります。
だからこそ、人の話しの聴き方の練習は、全員が知るべきだと思います。

ただ、残念ながら、受容と共感を大切にするCAPが、
なぜか内部分裂して、西日本と、東日本に別れちゃいました。
しかも、CAPを提供できるスペシャリスト養成講座も、
その講座を開けるトレーナーが少なすぎて、十分な数の実施ができていません。
CAPは、CAPを広めたいのか、それとも、組織を守りたいだけなのか、よくわからない状態です。
日本は、なんでこうなんだろう。
テコンドーもそうでしたね。バスケットボールもそうですね。
普及させたいのか、組織を守りたいのか。
しょうがないから、僕は、僕なりに、CAPの考え方を
知る人を増やしていこうと思います。