植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

努力が無駄だと言う人に、努力の価値を説明しても理解されない。

僕は、いじめや児童虐待を無くしたいと思っています。
僕は、いじめや児童虐待をしてしまう人は、
自信を失った人である可能性が高いことを知りました。
自信を失った人の中には、自信を保つために、
自分以下を作り、自分に抵抗できない人間を攻撃し、否定します。
ネット上によく見かけられる、匿名による他人批判は、
自分に反撃が及ばないようにして安全地帯から攻撃するものです。これは、自信が無い人がしてしまうことだと思います。
また、自信がない人は、自分の思考を発せず、他人の思考を批判します。自分の思考を発しないから、自分は攻撃されません。
こういう人たちは、たくさんいます。
 
 
いろいろ考えた結果、いじめや児童虐待を無くするためには、
人の自信や可能性を奪う大人を変える努力より、
人の自信や可能性をうばう人に負けない子どもを増やす方が効果的だと判断しました。
 
その頃、僕は、青年会議所の委員長になりました。
そこで、JAXAの講師を招いて、子ども達に講演を聞いていただくという事業を考えました。
(この頃は、自分でしゃべろうとは思ってませんでした。)
この事業の説明のために、学校に伺いました。
その頃、北海道大学の永田先生にも出会え、ロケット開発に関われるようになり始めたことでしたから、赤平で宇宙開発ができるようになることも先生に説明しました。
 
その学校巡りを一通り終えて、委員会のメンバーで居酒屋さんでお酒を飲んでいたところ、隣の部屋の人たちの声が聞こえてきました。
学校の先生達でした。
「お前のとこにも来た?あいつ。」
「おお、来た来た、宇宙開発とか、できるわけないよな。」
「こんな田舎だよ?零細企業だよ?できるわけねーよ。」
「宇宙開発なんてのは、大企業が国家事業で・・・」
「できもしねえことを言うなっての。」
先生達は、僕らをネタにして盛り上がっていました。
委員会のメンバーの熱い後輩は、「やめさせてきます!」と、
隣の部屋に乗り込みそうになりましたが、止めました。
ここで先生とけんかしても何にもなりません。
こういう先生の元の子どもこそ、支える必要があります。
その子どもとのパイプは、この先生達です。
このパイプを失えないです。
だから、「明日のために今日の屈辱に耐えるのだ」でした。
 
そして、今、僕は宇宙開発ができています。
すると、今度は、
「そんなことする余裕あっていいね。」
と言われます。
 
努力をしようとしたら、「努力しても無駄だよ」と言われ、
努力をしたら、「努力できる余裕あっていいね」と言われます。
 
こういう人たちは、努力は無駄だと思っています。
努力は報われないと思っています。
努力なんかよりも、金だよ。権力だよ。と思っています。
こういう人は「現実を見ろ」とよく言います。
でも、彼らが見たい現実とは、「努力しても無駄だよ。努力より金だよ、力だよ。」を肯定する事象だけです。
 
残念ながら、こういう人たちに、努力の大切さをいくら説明しても伝わりません。議論も成立しません。
こういう人にとっては、努力した人の話は、ものすごく嫌な話か、ものすごくきれい事で理想論に聞こえるか、もしくは、「ごく一部の、成功した特別な人間のしゃべる、参考にならない自慢話」に聞こえるでしょう。
実際、そういう理由で、伝記を嫌う人も何人も見てきました。
そして、こういう人たちが、他人の自信と可能性を奪うのです。
そして、自信と可能性をうばわれた人の中には、
それを、自分より弱いものに対してやってしまう人もいます。
恐ろしい連鎖です。
 
僕は、こういう人たちを変える努力はしなくていいと思っています。短い人生を、そんな非効率な事に使うのは無駄です。
僕は、こういう人たちに負けない人を増やしたいです。支えたいです。
僕が講演するのも、本を出版するのも、このfacebookに書くのも、そのためです。
 
世の中には、人の自信と可能性をうばう人がたくさんいます。
そういう人は、恐ろしい毒の言葉をまき散らします。
そういう人に、負けそうになってる人の背中を、僕の言葉がほんの少しでも支えられたらいいなと思っています。