植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

できるかもしれない。と思い込むことの大切さ。

「できない」と、「してもらうしかない」から、
とても立場が弱くなります。
「してもらう」ためには、対価を払わないといけないことが多く、お金が必要になるか、命令に従う必要が出てきます。
この状態で、「自信」を持つことは、かなり困難でしょう。

でも、「できない」が、
「できないかもしれない」の場合は、
それは、自分の思い込みである可能性が高いです。
そして、その、自分の「思い込み」で、
自信を失ってしまうかもしれません。

「やったことないんだから、やめておきなさい。」
「失敗したら、どうするの」
「それは難しいんじゃない?」
「できなかったら、責任取れるの?」
「危ない!まだあなたには無理だよ!」

子どもたちを、失敗がもたらす悲しみや危険から守ろうとして、「させない」行為は、もしかしたら「できないかもしれない」人を育成し、その人は、自信を持てないかもしれません。

教育とは、
失敗の避けかたや、責任の避けかたという、
要領のいい生き方のハウツーを教えるものではありません。

教育とは、
失敗を安全に経験させることだと思います。
それによって、「できるかも?」と思える心を伸ばせば、
人は自信を持つことができると思います。

子どもたちは、進路という「学びかたの選択」をとても重たく考えてしまうことがあります。
それは、周りの大人が、そう教え込むからです。
「いい学校に行かないと、いい会社に入れなくて、大変だよ。」
と、真顔で教える大人はたくさんいます。

実際には、どの学校に行ったかでは、人生は決定されません。
大事なのは、「何を学んだか?」です。
そして、人は、社会に出てからの方が、はるかに学び、はるかに成長します。
しかしそれは、「自ら学ぶ」ことの喜びを知った人だけかもしれません。
「知らないことを、知る」のは、素晴らしい喜びです。
「できなかったことが、できる」のは、素晴らしい喜びです。
そしてこの、素晴らしい喜びを教えるのが、学校の役目のはずです。
「学校は、「学び方」を教える場所だ」というのは、よく聞く言葉のように思います。

しかし、学ぶことの喜びを知らない人たちは、
社会に出た後、学びません。
だから、そういう人たちは、「どの学校に行ったのか」で、
人生が決まってしまうと思い込みます。
そういう人たちは、学歴に異常に固執します。
自分の学歴を自慢し続けるか、
自分の学歴をコンプレックスにし続けます。
そして、そういう人たちは、
子どもたちにも、「どの学校に行ったのか」で、
人生が決まってしまうと教えてしまいます。

どの学校にに行ったのか?で、
人生が決定されると思い込まされた子どもたちは、
ものすごくあせります。
でも、毎日の授業もあります。なんだかわからないけど受験対策の勉強や、模擬試験も大変です。
だから、自分の未来を考える時間を持てないまま、
ただひたすらに毎日、偏差値のために頑張らされます。

中には、先生の教え方と相性の悪い子もいます。
頑張っても、成果が出てこないで苦しむ子もいます。
お金がある子は、塾に行けます。個別指導で、自分にあった効率的な勉強を受けられます。
でも、お金がない子は、その機会を得られません。

そして、ある日、進路を決定しなければいけなくなり、
その時は、自分の偏差値の範囲から選ぶしかなく、
その段階で、「ああ、俺の人生、しょせんこんなもんか」と思い込んでしまう人も少なくないです。

自分の偏差値の範囲から自分の未来を選ばされた人たちは、
自分の「できることしか」しなくなる傾向があります。
それが、「できないかもしれない」思考の成り立ちと関連があるのではないかと、僕は思っています。
そしてそれもまた、
「受験の失敗」を避けさせようとした保護者や先生がやってしまっているような気がするのです。

人間は、生きていくためには、どうしても自信が必要です。
そして、自信とは、「できるかもしれない」という思い込みのような気がします。

子どもたちを、悲しみや危険から守ることは大切なことです。
しかし、永久には守れません。
子どもたちは、いつか、大人になります。
その時に、自分を守ることができ、自分の愛する者を守る力を持っていなければ、まずいです。
だったら、悲しみや危険から守るために「させない」のではなく、悲しみや危険から守るために、悲しみや危険を乗り越える力をもたせた方がいいはずです。
そしてそれは、シミュレーションで与えるのが安全で効果的です。
それは、飛行機の操縦訓練などでも、採用されている方法です。
実際の飛行機で、墜落寸前の状態を経験させるのは危険すぎます。
だからこそ、フライトシミュレーターで、体験させています。

残念ながら、悲しみや危険を乗り越える力を身につけていない大人は、それを人に教えることはできません。
だからこそ、大人は、悲しみや危険を乗り越える力、すなわち、
「問題解決能力」を身につけるべきだと思います。
問題に直面した時、それを、あきらめたり、やめたり、無視したり、愚痴を言ったり、なにかのせいにしたり、投げ出したりするのではなく、
問題を解決して状態をよりよくする努力が必要だと思います。

でもね、大人を教育する方法はないのです。
学ぼうとする大人は、問題解決能力を持っています。
学ぼうとしない大人は、教えたくても、学びに来ません。
ということで、大事なのは、
子どもたちを支えることだと思います。
その子たちが、大人になるまで、支えることです。

学ぶことの喜びや、自分の可能性を信じること。
そして、「やったことがない人が教える、根拠のないできない理由」に負けないハートを持ってもらうこと。
それができれば、きっと、10年後に社会は良くなります。

と、僕は思っています。

だから僕は、大人向けの講演をしたくないのです。
したくないけど、するときには、最初に必ず言います。
「このお話は、僕の仲間を探すためのお話です。」って。
子どもたちを支える仲間が、増えたらいいなと思っています。