植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人は弱いからこそ、排他してはいけない。

人は弱い生き物です。
決定的に弱いのは、赤ちゃんが小さいことと、睡眠が必要なことです。
いずれも、脳みその発達のために生じたデメリットだそうです。
 
人間の脳みそは巨大化したため、
出産時に安全に産むためにかなり苦労しています。
なんたって、頭蓋骨がゆがんで外れて産道をくぐるのだから、
それはもう、すごい構造です。
めいいっぱい無理した構造です。
 
そして、脳みそが相当なエネルギーを必要とするのと同時に、
莫大な情報処理をするために、
しっかりした睡眠が必要だという説があります。
 
ま、睡眠の理由と、赤ちゃんが小さい理由は、他にもあると思いますが、
いずれにせよ、人間は、子守りと睡眠が必要です。
 
だから、人間は一人では生きていけないです。
 
寝てる間に襲われるかもしれない。
赤ちゃんが小さいときは、獲物を捕りに行けない。
 
「私は一人で生きていける。だから、誰も私に構わないで。」
なんていう人もいますが、そういう人は、社会の恩恵にどっぷりつかっています。そして社会の恩恵に気がつけていないだけです。
 
 
人間は一人では生きていけないからこそ、
人間社会を構成する上でもっとも重要な概念は「受容」だと思います。
そして、人間社会を破壊する概念は「排他」だと思います。
 
自分とちがうものを認めず、否定し、見下す行為は、
人間社会を破壊してしまいます。
 
僕は、そういう事をしてしまう人は、「自信」がない人だと思っています。
「自信」が無いから、「挑戦」ができません。
「挑戦」できないから、「自信」が増えません。
だから、自分以下を探し、作ろうとしてしまいます。
そういうことをしてしまう人は少なくないです。
 
そういう人とは、どう関わればいいのか?
 
まずは、関わらないことが最良ですが、そういうわけに行かない場合もあります。
 
そういう時は、まず大事なことは、その人の人格や存在を否定しないことです。
 
自信を奪う人の自信を攻撃して奪うのでは無く、
自信を奪われそうな人の自信を支える方が、
自信剥奪の連鎖を食い止められる可能性があると思います。
 
 
でも、残念ながら、自信を得るためには、
自信をお金で買うしかない。
人を見下すしかない。
と思い込んだ人は、生涯、他人を攻撃してしまう可能性があります。
 
でも、本当は、自信は、自分の意志による挑戦と、それによる自分自身の能力の向上の実感によって得られます。
(それをわかりやすく言うと、「やったことがないことをやると自信が増えます。」になります。)
(自信は、他人からの賞賛や承認によっても増えますが、それは、自信が無い状態のときは有効ですが、それが自信を増やす方法のすべてではないと思います。)
 
僕が小さい頃、まわりの大人は、
ロスタート経験者が多かったです。
彼らは「無ければ作れ」の人たちでした。
彼らは「自分でできる。自分でやれ。」と教えてくれた気がします。
 
でも、そうじゃない大人もいました。
「無ければ買え。お金が無ければあきらめろ。お金が欲しければ、いい学校に行って、いい会社に入れ。」
そういう人は、「してもらえ」と教えてくれたような気がします。
 
ここに、もしかしたら、「排他」のスタート地点があるかもしれないと、僕はちょっと思っています。
 
ま、それはいいとして、
とりあえずは、自分自身が「排他」をしないように気をつけるだけでも、かなり社会はよくなるかもしれません。
できることからやっていくのが確実です。