植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自殺につながるいじめは確認できません=問題解決は不可能な台詞

「自殺につながるいじめは確認されていません」
 
最近、よく目にするフレーズです。
 
このフレーズが使われるということは、
自殺につながるいじめの具体例が詳細なデーターになっているということだと思います。
であれば、公表して、だれもがそれをしないようにすべきです。
なぜ、そうしないのかな。
 
そして、このフレーズが使われるということは、
自殺は、いじめが原因ではない。ということです。
ようするに、
学校以外のことが原因だから、学校には責任はありませんよ。ということだと思います。
 
僕は、学校内で生じる問題で、学校にのみ責任を求めるのは正しくないと思っています。
どんな問題も、大きな問題になるのは、いくつもの問題が重なり合うからです。
だから、誰か特定の原因や責任を追及するのはナンセンスです。
詳細に問題の原因を分析し、再発を防止することが重要です。
 
しかし、複雑な問題で、きわめて幼稚で単純な責任追及が行われると、
そんな幼稚な責任追求されたくない人たちは、「自分のせいじゃない」と言うしかなくなり、
原因の分析なんてできなくなってしまいます。
 
 

重要なのは、自ら命を絶たなければなかった人がいたということです。
そこに至るには、相当な問題があったはずです。
そして、それは、さらに大きな悲しみや悩みを生み出します。
それを、誰のせいだ、とか、僕のせいじゃない、とか、言ってる場合じゃないと思います。
再発を防止する努力をすべきだと思います。


これは、企業や社会における事故原因調査と、とてもよく似ています。
そして、この分野で、残念ながら日本はかなり遅れている印象を僕は持っています。
 
まだまだ、失敗学という概念は普及しておらず、
「失敗=だめ」というイメージが強いように感じます。
それは、日本人の多くが、そう思わされているからです。
そして、すべての日本人に影響を与えるのは、義務教育です。
もしも、義務教育の過程で、「失敗=データー」という概念を与えていれば、
日本は大きく変わり、様々な問題を解決できると思います。
 
 


植松電機が、なぜ宇宙開発できたのか?と、よく質問されます。
僕は、その一因として、失敗の責任を追及しないで再発の防止に努めたことがあると思います。
失敗するたびに、罰を与え、仕事から外したら、あっというまにみんないなくなります。
僕さえもいなくなります。
失敗した人は、失敗という貴重な経験をしているのです。沢山悩み、苦しむのです。
だから、失敗したことがない人より、多くのことを考えられるようになります。
そんな貴重な経験をした人を、仕事から外すなんて、もったいない判断だと思います。
 
 


いじめは、学校だけの問題ではありません。
むしろ、残念なことですが、社会に出てからの方が、よっぽどひどいです。
だからこそ、学校にいる間に、いじめなどの人間関係に起因する問題を解決する練習をすべきです。だから、学校で、いじめなどの人間関係に起因する問題が生じるのは、悪いことやダメなことではないと思います。それは、様々な複雑な要因で生じてしまう現象です。
重要なのは、その問題を活用して、乗り越え方を身につけることのような気がします。
 
 

僕は、本が好きです。
だから、いろんなことで悩んだら本を読みました。
中学や高校の頃には、いろんな哲学の本も読みます。心理学の本も読みます。
それらは、人間関係や、自分の心について、いろんな事を考えるきっかけになりました。
自分の心の中で渦巻く思考は、「言語化」されないと自分にも理解できないと、僕は思っています。だからこそ、僕は、考えるためには、美しい言葉が必要だとおもっています。
それは、可能な限り大量のボキャブラリーです。
様々な心の表現を知れば、自分の心をより深く表現し理解できるような気がします。
でも、僕が生きるためにとても重要だと思ったことは、学校ではまったく教えられていません。
もちろん、テストにも出ません。工学部を目指す僕にとっては、心理学なんて関係ないと言われます。
でも僕は、人です。
人として、自分のことを、より深く理解し、いろんな悩みや問題を解決したいのです。
でも、そういうことは、学校では教えないのです。
自分で学んだからこそ、僕は、いろんな問題を乗り越えられたのだと思います。
だからね、みんなが学べば、社会がもっと良くなる気がするのです。
 
学問とは、テストでいい点数を取ったり、いい会社に入ったりするためのものではないです。
学問とは、社会の問題を解決するために人類が命をかけて積み重ねてきたものです。
教育とは、失敗や責任の避けかたを教えるためのものではなく、
安全に失敗を経験させること、だと僕は思っています。
それが、正しく機能すれば、人間関係で苦しむ人が減るのではないかと思います。