植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「反省しろ!」の無意味さ。

先日、取引先の方があやまりに来られました。
なんでも、欠品があったそうな。
ま、人間、ミスするものです。多少の欠品で本業の製品出荷などに致命的な影響が出るような
ギリギリの入荷手配はしていませんので、事なきを得た件でした。
で、その会社の方にいわれたのは、
「植松電機さんは優しすぎる。もっときつく怒ってください。」でした。

僕としては、失敗は怒る必要は無く、再発を防止する手立てができれば問題なしと思っています。
なんせ、さんざん怒られてきましたから。
だから、怒るということの無意味さを知っています。

少し前までは、仕事などでトラブルが起きたら、
「とりあえず担当者ワビを入れろ!」という経営者が多かったです。
修理とかいいから、まず土下座しろ!です。
で、たいていの人が、怒られたら、平身低頭謝ります。
で、土下座しながら舌だしてます。てへぺろです。
怒られるから、相手に合わせて対応しているだけです。

子どもの頃もそうでした。
問題が起きたとき、先生に呼び出され、犯人は並べられます。
先生から怒られて、いろんな事言われます。有罪を認めろ!といわれます。
僕はそのとき、そうなった理由を説明します。悪気がなかったことを説明します。
すると、「くちごたえするな!」といわれます。
他の子達は、先生の理解が間違っていても、みんな素直に泣いてあやまります。
「ごめんなさい。もうしません。」と泣きながらいいます。
すると、「わかればよろしい。もうするなよ!」と、すぐに解放されます。
僕は、正しく認識してほしいと思って説明します。
だから僕は、さらに怒られます。
後から、その子達にいわれます。「お前バカだな。あいつは単純だから、泣いたまねしたらすぐに解放してくれるんだぞ。」
でも僕は、解放されたいのではないのです。
事実を正しく認識してほしかったのです。

僕は、いろんなことで失敗をしたり、されたりします。
都度、なんでかな?と考えて、だったらこうしてみたら?と、再発防止を考えます。次の手を考えます。
たとえば、以前、ある会社に「沢山売るから独占契約を結んでくれ」といわれて、その通りにして、沢山来る注文に対応するために工場を建てて、人を雇って、まもなく、「経営方針が変わったからもういりません」といわれて、工場建設の借金を返すあてを失ったことがありました。僕はそれを、自分の判断ミスが招いた状態だと反省しました。
だから今では、ある特定の会社の売り上げが、全体の売り上げの30%を越えないように気を付けています。
なぜなら、沢山買ってくれる会社はありがたいのですが、その会社の売り上げが自社の生命線になってしまったとたんに、自由を失うことを学習したからです。
だって、生命線を握られてるんですよ。
来月の注文をしません、ていわれたら、「え、ちょっとまって、それは困ります」になります。そうしたらもう手遅れです。相手の意のままに、値段交渉をされるようになるでしょう。

僕は、自分の判断ミスを反省しました。
でもこれは、自分のせいにする、のとはちがいます。
「自分のせい」にして、自分を責めるだけだと、思考が停止します。
そうじゃなくて、問題を問題だと認識して、発生原因を考え、自分ならこうする、という、再発を防止する対策を考え、行動するのです。

僕は、反省しろ!といわれてする反省は、反省のポーズだと思います。猿でもできます。
本当の反省は、自分で考えるしかないと思います。
だから、重要なのは、「反省しろ!」ではなく、
どうやったら、「本当の反省」をする能力が身に付くのかな?を考えることだと思います。
すなわち、問題解決能力をいかにして育むか、を考えるのです。

おそらく、本当の反省ができる人は、様々なことから学習し、自分の人生に活かせます。
そういう人のみ、「反面教師」が成立します。
他人の問題行動から、自分のすべき道を見いだす、です。
だから、「自分はわざと憎まれ役の反面教師をやってるんだ」なんてのは、ナンセンスです。
反面教師は、こちらから提供するサービスではありません。
それは「反省しろ!」を提供してるのと同じです。
反省は、させてできるものではないです。本人がするものです。
そして大事なのは、本当の反省ができる人を育てることです。

そのために、最も重要なのは、思考力です。主体性です。
それが、本当の反省につながります。
反省の強要は、思考能力と主体性を奪います。それは、どんどん悪循環すると思います。

僕は、大学にいって、驚いたことがあります。
それは、教授達が、生徒に向かって、「お前ら」といわないことです。「諸君」といいました。
僕らを、対等な大人として扱ってくれました。そして、思考の重要性を説きました。
僕はそれが、とてもうれしかったのをおぼえています。
だから僕は、子ども達に、「お前ら」といいません。僕の会社の仲間にもいいません。
そして、上から目線で反省を強要しません。僕は、再発防止を相談します。
だから、僕の会社の仲間は、問題を乗り越えて、前に進んでくれるのだと思います。

でもいまでも、「お前ら!反省しろ!」は、まかり通っています。
その無意味さと悪影響に、気がついてくれる人が増えたらいいなと思います。

9月30日は植松電機でスペースプローブコンテスト!

来る9月30日は、スペースプローブコンテストです。
 
場所は、植松電機。
 
ロケットや探査機に興味がある人達が集うイベントです。
 
今年から、探査機部門と、ロケット部門に分かれました。
 
探査機部門は、言うなれば、空飛ぶロボコンです。
与えられたミッションを、空中で飛行しながら達成します。
今年のミッションは、目的地付近への着陸です。
これは、惑星探査などで、目標地点に着陸することをシミュレーションするものと同時に、
災害時に、被害にあった人を見つけ出し、そのそばに補給物資や、救助信号マーカーなどを自動的に落とすドローンなどの技術にも活かせる技術です。
 
今年は、6チーム参加です。
それぞれが、おもしろい技術とアイデアを持ち寄ります。
きっと、見るだけでもおもしろいと思います。
この6チームの探査機を打ち上げるのは、カムイロケット。
本物のロケットが6回打ち上がります。
もちろん、場所の制限から、あんまり高く上げられませんが、
本物のロケットエンジンの迫力を感じられます。
 
また、今年からのロケット部門は、
僕が以前からどうしてもやりたかった部門です。
 
ロケットは、重力とけんかする機械です。
だから、軽さの追求はとても重要です。
ということで、このロケット部門は、
B6-4のエンジンで、40m打ち上げます。
40mを越えても、足りなくても、ペナルティです。
その上で、一番体積の大きいロケットの勝利です。
ようするに、できるだけ、軽いロケットを作りましょう、ということです。
 
スペースプローブのHPの下の方に、サンプルロケットがダウンロード出来るようになっています。
CAMUI-1500型は、B6-4で40mほどあがります。
正直なところ、この機体をつくって持ってくるだけでも、参加資格はオッケーです!
この機体をベースにして、たとえば、薄い紙で、拡大コピーしてつくったら、優勝を狙えるかも!
もちろん、材質は、紙じゃなくても大丈夫。
(ただし、ヘリウムを詰めるとかはなしです)
 
あとやく一ヶ月。まだ準備は間に合うよ。
探査機部門は大変かもしれないけど、ロケット部門はエントリーは難しくありません。
年齢制限もないよ。大人も、そして親子でも挑戦できます。
 
ロケットも、宇宙開発も、手が届かないものじゃない。
自分だってできるんだ!
だから、どんな夢もあきらめる必要なんてない!
 
そういう大会に育てていきます!
 
 
 

ダースノート。100年続きますように。

会社の荷物到着場所に、
Amazonで頼んだものが到着してるかな、と思ってみてみたら、
ずっしり重い箱が。
品名はチョコレート。
バレンタインデーでもない。
しかも、量が尋常ではない。
よくよく見たら、「ダース」って書いてありました。
 
先日、森永さんの「ダース」というチョコレートの、
イベントに招いていただけました。
そのお礼に沢山チョコレートが届きました。
僕としては、素晴らしい高校生の皆さんとの出会いを作っていただけたうえに、こんなお土産まで・・・ありがたすぎます。
うちの会社の仲間も大喜びです。
 
ダースノートの企画でのお話しのレポートも、
森永さんのサイトにありました。
とてもいい質問がどんどんでてきて、
僕自身もすごくよい学びになった学校です。
 
チョコレートやお菓子の会社が、未来の高校生のために、
こんな企画をしてくれていることに、本当に希望を感じます。
日本も、まだまだ捨てたもんじゃないです。
 
子ども達は、とても狭い世界の、憶測の常識しか情報が得られない状態です。
それは、子ども達の未来をとても狭めてしまいます。
このダースノートに登場してくる様々な人達は、
みんな、自分の意志で、自分の生き方をしています。
それは、「楽」や「安定」ではないように見えるかもしれません。
でも、この人口減少社会では、「楽」と「安定」には、未来はありません。(楽も安定も、人間の能力を低下させます。)
 
子ども達には、より多くの、多様な人生の情報が必要です。
このダースノートの素晴らしい企画が、ずーっと続きますように。
 
 

幸せラインは、自由だ!

今朝の会社の朝礼で、会社の仲間が、カラオケの自動採点についてのお話しをしてくれました。

基本的には、理想とする音階とメロディーから、外れると減点という仕組みだから、
プロが自分の曲をアレンジして歌うと点数が下がる、という現象が起きてしまいます。
(もちろん、この採点システムも日々進化してるとおもいます。)
僕は、こういう番組は、あんまり興味を感じないです。
僕は、プロが心を込めて歌う歌の方が好きです。(個人的な嗜好です。)
森繁久弥さんのオリジナリティーはすごかったです。)

似たようなことに、グランツーリスモという車のゲームの進路ラインがあります。
このゲームでは、コースごとの最速タイムのラインを画面に表示できます。
でも、僕は、ぜんぜんそのラインに乗っかれません。
というか、車によって、走行ラインは変わります。
もちろん、雨の量によっても変わります。実際なら、路面の温度も影響するでしょう。
その、様々な条件の中で「最適解」を探すのが、おもしろいのだと思います。

たとえば、スバルインプレッサや、ランサーエボリューションという、4WDの車は、
すごく走らせやすいです。コーナーリング中にも、加速も減速もかなりできます。
それは、とても速く、安心です。
こういう車だと、最速ラインに近づくと、確かにタイムがよくなる傾向があります。
でも僕は、フェラーリF40とか、ランチアストラトスが好きです。
まっすぐ走ってくれません。
オーバーステアの雨あられ。アクセルオンでもオフでもスピン。
直線でのブレーキングでもスピン。どうすりゃいいの。
絶対的な速さでは、4WDや、新しいマシンには、敵わないです。
でも、それをうまく走らせられたときに、すごく快感です。
もちろん、ハンドリングアシスト全部オフ。バラストもつまず、足回りもノーマルのまんま。が、最高に乗りにくくて、最高におもしろいです。
こうなると、完走できただけでバンザイです。幸せを感じるレベルがすごく下がります。
それは、僕の幸せです。

おそらく、人生についても同じことが言えるかも。
誰かが設定した「人生の幸せライン」から、外れたら減点。なんて指示されたら、
人生は楽しくないと思います。
雨も降る。風も吹く。雪も降る。猛暑にもなる。
自分の意志でどうにもならないことが起きても、
自分の意志で人生を操縦して、最適解を目指すのが、楽しい気がします。

国公立4年生大学の理系に進学して、官公庁で働いて・・・
から、ちょっとでも外れたら、負け組ですよ、なんてのはあり得ないです。

人生いろいろ。
僕は、自分の自由な幸せラインを追い求めていきたいです。

知らない人と話をするためには。

僕は、沢山の暴力を経験したから、人間が怖いです。
だから、パーソナルエリアが、とてつもなく広いです。
一人ぼっちが大好きです。

でも、そんな僕も、知らない人と会わなければいけません。
それは、かなりのプレッシャーです。
でも、対処法は二つあります。

まず一つは、対人関係用の自分を作ってしまうことです。
笑顔も、あいさつも、しゃべる内容も、ぜーんぶ、当たり障りない演技のルーチンにします。
しゃべる内容も、最小限。相づちとうなずきと。
これは、心配は少なくなりますが、ストレスはものすごく大きいです。
だから、これを続けると、爆発しそうになります。限界があります。

もう一つは、相手に自分を合わせようとするのではなく、自分を理解してくれる相手を探すことです。
そのためには、自分の思考や価値観を伝える事がいいと思います。
それを教えてくれたのは、外国の人達です。
僕の会社には、沢山の外国の人が来てくれます。
彼らが一様にほっとした顔になるのは、僕の趣味を知ったときです。
僕が趣味の話をすると、その趣味を知らなくても、興味と関心を示してくれます。
彼らに言わせると、趣味の話から、価値観や、思考などが、すごくよくわかるので、
安心できるのだそうです。
なるほど。確かにそうかも。
でもきっと、そのときの趣味の話が、自慢ではいけないのだと思います。
本当に、うれしそうに、自分の大好きなことを話すことがいいかも。

でも日本では、趣味は教育の妨げになる害悪である、と教える人が多いものだから、
趣味を持たない人が多いです。それどころか、趣味は害悪や無駄遣いだと思う人も多いです。
それは、おそらく、新しい人間関係を作る上での妨げになるような気がします。

これから、自動翻訳が実用化され、世界はもっとつながります。
そのとき、知らない人達と仲良くなるためには、趣味、って、ものすごく重要な
結合材になるような気がします。
自分の趣味を大切にし、他人の趣味も大切にする。
それができることが、これからのグローバル社会で必要かも知れないなと思います。

 

10年早いわ!なんて言う人は、さっさと追い越していこう!

10年早いわ!
 
というセリフは、漫画の中でしか見たことがなかったけど、
大人になってから、実際に言われたことがあります。感動しました。
 
その人は、電磁石に関して、かなり自信と経験のある人でした。
だから、駆け出しの、電磁石を作り始めたばかりの僕に、「10年早いわ」と言ってくれました。もちろん、いい意味ではないです。
 
僕は、電磁石の中を通過する磁気の流れが、流体の流れにとても似ている、と思いました。
だから、電磁石の解析に、流体の解析を混ぜた、新しいプログラムを考えました。
それが、その人にはおもしろくなかったようです。
 
でも、その人だって、何年電磁石に関わってんの?って調べたら、
確かに、僕より10歳くらい年上だったから、物理的に10年早いのは事実です。
 
でも、その10年の間に、コンピューターも進化し、材料も進化しました。
だから、残念ながら、僕の考えた電磁石の最適化設計プログラムは、電磁石の設計に関しては、その人との経験の差を、急激に埋めてしまったようでした。
だから、悔しかったのだと思います。
 
世の中には、年齢の差を力の差として押しつけてくる人が少なくないです。
そういう人は、たいてい、現在努力していない人です。
なぜなら、日々、新しい情報は増えています。それは、老いも若きも、同時に手に入れられます。
経験も同じです。同じ時間を過ごしていますから、老いも若きも、経験を増やせます。
で、若きに追いつかれるのが悔しくて、「10年早いわ」と、「経験年数の差」を主張する人は、
追いつかれちゃってるわけですから、現在努力をしていない人です。
 
もちろん、経験のない人が、一足飛びに挑戦しようとして、それが危険だと思ったなら、
段階を踏ませるアドバイスは必要です。
でもそのときのセリフは「10年早いわ!」ではないと思います。
僕らがすべきは、後から来た人達を、自分以上に押し上げることです。
それをやらないと、社会は衰退する一方です。
 
何歳になったって、若い人と同じように学べます。経験もできます。
以前、東大で、宇宙が大好きな大学生が集まる集会に参加しました。
そのとき、彼らの熱気と努力に、確かに嫉妬を覚えました。
そして、一緒に行った会社の仲間と話したことは「とりあえず、走るしかないね。」です。
 
「後から来たのに追い越され、泣くのが嫌なら、さあ歩け!」です。
水戸黄門の歌はいいね。