駆逐艦「雷」の本を読んで・・・
艦これ、というゲームのおかげで、
太平洋戦争時の日本帝国艦隊の人気が上がっているようです。
関連した書籍の発行も急ピッチです。
今まで僕は、軍艦の構造についての興味がありました。
だから、読む本も、そういう方面の本ばかりです。
(日本の軍艦が、直流駆動から交流駆動に変化するあたりの苦労話もおもしろいですよ。)
だから、戦記物と言われる本には、あまり食指が動きませんでした。
昔は、戦記物も読みました。
最初に読んだのは、ピェール・クロスてルマンの本です。
彼はフランス人で、フランスがドイツに占領された後に、
イギリス空軍で戦った人です。
彼の文章(というか、訳した人の文章)が素敵で、
今でも大好きな本です。
ちょうど、同じ出版社が、ハンス・ウルリヒ・ルデルさんの本も
出してくれました。急降下爆撃機のパイロットの戦記物です。
これもまた、朴訥で飾らない派手さの無い文章が好きです。
ということで、日本のパイロットの戦記物にも興味を持ちました。
最初に読んだのは、坂井三郎さんです。
ほかにも、のきなみ片っ端から読みました。
そこで、違和感を感じました。
なんとなく、日本の戦記物は、たいていが、ものすごく派手というか、おおげさというか、盛り過ぎというか、熱すぎると言うか、
「そりゃないだろう」という部分が目について、
なんとなく、距離を置くようになっていました。
でも、久々に、駆逐艦「雷(いかづち)」という船に興味を持ち、
その戦記物を読んでみました。
駆逐艦「雷」と言えば、沈んだ敵艦の遭難者を、自分の船の乗り組み員の二倍ほども収容して助けたことで有名です。
今回読んだ本は、当時の乗組員の書いた本でした。
その本の中にも、遭難者の救助のシーンがありました。
でも、この本でおもしろかったのは、艦長による違いの話しです。
遭難者を救った時の「雷」の艦長は、「工藤さん」だそうです。
この艦長の人柄があったから、雷はよかったのだそうです。
たとえば、この時代は、日本はレーダーが普及していません。
だから、見張りは人間の目に頼るしかないです。
ある見張り員が、はるか遠くに潜水艦の潜望鏡を発見します。
艦長はすぐにそこに船を進めます。
近づいてみると、それは流木だったりします。
すると、工藤艦長は、それを発見した視力を誉め称え、
誤認したことについては叱責しないのだそうです。
しかし、工藤艦長の次の艦長は、正反対だそうです。
上記のような状態では、誤認したことを厳しく叱責します。
すると、間違った報告をしないために、見張り員は、
そもそも報告をしなくなるそうです。
ということで、新しい艦長になってから、
雷の乗組員のモラルがどんどん低下していく様子が、
この本には描かれていました。
僕はどっちのタイプかなあ、と考えます。
僕は、なるべく遠くを見つめるようにしています。
一つのゴールに向かうには、道はいくつあってもかまいません。
僕はその遠いゴールを見極めます。
どんな方法であっても、ゴールに近づきゃあオッケーです。
しかし、人によっては、その「道」について、
がたがたうるさい人もいます。
他人の選んだ道を批判し評論し、
自分の選んだ道を押し付ける人です。
一番最悪なのは、自分は道を選ぼうとせずに、
他人が選んだ道を批判する人です。
こういう人がいると、道を選択できなくなります。
それは、無思考です。
何をしたいのか?
何をするのか?
そのゴールを見極められないリーダーは、
ゴールに向かう人達を潰してしまうのかもしれません。
こういう人が、「これについて考えてくれ。」「アイデアを出してくれ」と指示をしても、だれも答えないでしょう。
なぜなら、アイデアや意見を出すと、批判されるからです。評論されるからです。
すると、こういう人は「なんでだれも考えていないんだ!」「やる気あるのか!」と怒ります。
でも、考えることや、やる気をそいでいるのは、
人の考えや行為を批判し評論する自身です。
目的というゴールと、手段という道について、
しっかり考えないといけません。
大事なのは、ゴールに向かうことです。
どの道を行けばいいのか迷って前に進めないとか、
道を選べなくて前に進めないとか、という状態は不毛です。
工藤艦長という人に興味がわいたので、
もうちょっと戦記物を読んでみようと思います。
(でもまあ、船の戦いは悲惨です。船を破壊するための兵器が人間に作用しますから、人間なんてひとたまりもありません。艦これ的な、
服びりびり、なんて状態じゃないです。その悲惨さも、ちょっと知っておくと、戦争再発を防ごうという気持ちが強まるから大事だと思います。)