植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

シーザーミランはすごいよ。

今日、新聞やニュースで、小学生の暴力について取り上げられていました。

それについて、テレビが一般の方々のインタビューを放送していましたが、そこでは「体罰していないのが原因じゃないか」「親が甘すぎる」「痛みを知らないから、やりすぎる」などなど、子供を痛めつけていないからだめなんだ、というような意見がありました。

ぜひ、シーザーミラン氏のカリスマドッグトレーナーという番組を見て欲しいです。
問題行動を起こしてしまう犬たちが、暴力や恫喝を使わなくても、ちゃんと攻撃性を納めていく様は感動的です。

最近、ペットをしつけられない飼い主のニュースも目に付きます。
飼い犬が人間を襲ってしまったりしています。

おそらく、正しいトレーニングの仕方を知らないからだろうと思います。

同じことが、人間についても言えます。

子どものしつけなんて、わからないです。
なんたって、やったことないもん。
だから、みんな、適当にやってるんです。
なんとなく、問題が表面化しなかった人たちが、
自分のしつけは正しい、と思い込んでるだけです。
乳幼児の教育講座は沢山あります。
しかし、年頃になる子たちへの保護者向けの教育講座は、ほとんどないです。
だから、みんな、てきとうです。
受験対策も、部活も、恋愛も、ぜーんぶ、なんとなく、
問題がないみたいだから大丈夫じゃない・・・
他の人と同じみたいだから大丈夫じゃない・・・

エーリッヒ・フロムさんは、「愛は学ばないとできない」と言っています。
愛でさえ、学ばないとできないのです。
ましてや、教育やしつけなんて、習わないで、できると思えないです。

もちろん、素晴らしい本もあります。講座もあります。
しかし、ほとんどの人は、そんなの見ないです。参加しないです。

僕は、大人への義務教育が必要だと思っています。
大人全員に情報を周知する方法が、現在の日本にありません。
新聞も読まず、ニュースも見ず、インターネットも使わず、
LINEかYOUTUBE検索しかしない大人が、思ったより沢山います。
そういう人たちに、情報を伝えることができません。

その遠因に、「勉強を嫌い」にしてしまう、
学校教育という仕組みが影響しているとしたら、
これはとても皮肉な悪循環です。

先にも書きましたが、
人間は、教育に頼らなければ、獣以下です。

いまこそ、教育や学問の真の意味と必要性を考えた
義務教育を考えないといけないような気がします。



ちなみに、僕の持論ですが

学問とは、いい学校やいい会社に入るためのものではない。
学問とは、社会の問題を解決するために人類が積み重ねたもの。

教育とは、失敗の避け方とか責任の避け方を教えるためのものではない。
教育とは、失敗を安全に経験させ、乗り越え方を教えるもの。

と、思っています。