植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

戦争をなくしたいのか、どーせなくならないから、戦争を受け容れるのか?

ナショナルジオグラフィックスという放送局の番組で、
「衝撃の瞬間」というものがあります。
 
古今東西の事故を詳細に解明する番組です。
 
その冒頭に「どんな事故も、様々な要因が複雑に絡み合っている」というようなナレーションがあります。
番組の内容は、まさに、このナレーションを裏付けます。
そして、番組では、その複雑に絡み合った要因を解き明かしていきます。
そう。要するに、複雑に絡み合った要因だけど、ちゃんと分解整理できています。
 
いま、NHKの100分で名著で、カントの「永遠平和のために」をやっています。
戦争をなくするためには、どうすればいいのか、をカントは真剣に考えました。
とてもよい学びになります。
もちろん、現在も戦争はなくなっていないので、カントの理論が有効ではない可能性はあります。でも、カントの理論を知らない人の方が圧倒的に多いはずですから、知らないが故に実施できていない可能性を考えたら、カントの理論が、間違っているとは言い切れないです。
 
僕は、戦争が嫌です。理不尽に命や財産が奪われるのが、肯定されるような状況は、あるべきではないと思います。
僕は、戦争が嫌だから、戦争の勉強をします。
戦争は、ひどくむごいです。目を背けたくなります。
でも、それでは、戦争を防ぐ知識が身につきません。
だから、戦争のことは、もっと学ぶべきだと僕は思います。
 
僕は、人間は成長する財産だと思っています。
だから、人間を殺すのは、人類レベルで損だと思います。
人間は、大事に育てたら、投資以上の価値を生み出す可能性があります。
その人間を、殺すことを認める戦争は、人間社会全体の富を減らす行為です。
 
すでにこの世にある富を分配することしか知らない人達は、
人間の成長なんて気にしません。
それは、言うなれば、山菜採りに似ています。
山菜を我先に取り尽くす人達です。
でも、もうそこには、山菜は生えてこないです。
だから、また違う場所を、我先に奪い取ります。
これをやってしまうのは、農耕民族だそうです。
狩猟民族は、取り尽くしたら滅びることを知っているから、
取り尽くさないそうです。
ところが、農耕民族が狩猟民族のまねごとをすると、取り尽くす人達になってしまうそうです。
それは、いま、水産業でも問題になってきています。
 
僕は、戦争をなくしたいです。
だから、思いつく限りの、できることをしています。
僕は、「奪う人」を減らせば、戦争がなくなるかも、と思っています。だから、「生み出す人」を増やしたいと思っています。
これは、僕の仮説に基づく、僕の行動です。
 
ところが、「戦争は複雑なんだよ。簡単にはなくならないんだよ。」と言う人が少なくないです。
そんなわかりきったことを言われても困ります。
そう。戦争は複雑です。様々な事故と同じに複雑です。
でも、「複雑でむずかしい」と「戦争がなくならない」は、
別な話です。
「戦争はなくならない」と思う人が多ければ、戦争はなくならないです。
でも、「戦争はなくなるはずだ」と思う人が増えたら、戦争はなくなるはずです。
過去に、様々な戦争が、「戦争をやめよう」という人達の意志でストップされてきた事例も忘れてはならないです。
 
「いやー。複雑な問題なんだよねえ。」と言うだけで、
問題を解決しようとしない人は少なくないです。
でもそれは、現状を報告してるに過ぎないです。
そこには、思考はありません。
どんな複雑な問題でも、分解して、整理して、できることから対策していけば、きっと状態を良くできます。
 
「むずかしくて、わかんねー!」と投げ出すのか、
「むずかしいから、ちょっと本気出して考えるか!」なのか。
 
時々、子ども達がロケットを作っているときに、
とにかく、説明書も読まないで「わかんなーい」と投げ出す子がいます。
そういう子は、もともとそうではなかったのです。
そういう子の親は、過干渉の事が多いです。
「ほら、ちゃんと説明書見なさい!」
「ほら、ここにちゃんと書いてあるでしょ!」
「あー、もう、なにやってんの!勝手なことするんじゃない!」
「あーあ、ほら、だから言ったでしょ!勝手なことするからさ!」
などなどの言葉を浴びせられた子は、
自分で思考することが怖くなってしまいます。
そして、ただ指示を仰ぐだけの存在になります。
何しろ、自分で考えて怒られるよりも、言われたとおりにした方が、怒られないですむし、失敗しても、自分のせいじゃないからです。
 
もしかしたら、過干渉な親に育てられた人達が、
「複雑な問題なんだよねえ」で、思考をやめてしまうのかもしれません。
 
僕が生きている間には、戦争はなくならないような気もします。
でも、だからといって、戦争をなくする努力をやめることにはつながらないです。
僕は、命がある限り、小さいことでもいいから、「戦争はなくなる」を信じて、行動していきます。
そして、ともに歩む仲間を増やします。
思うは招くです。