植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「やめろ」っと言われてもぉ。(古すぎだろ。)

日本の宇宙開発は、太平洋戦争のあとに、
アメリカによって航空機開発が禁止されたときに、
なんとかして航空技術を継承しようとした人たちが、
当時禁止されていなかった「ロケット」を活用したのがはじまりだと言われています。
(なんせ当時は、ドイツがロケットを実用化した程度で、どの国もロケットがなんなのか、いまいちわかってませんでしたから、禁止もなにもありませんでした。)

日本が独自に開発してきたロケットは、
「武器」と見なされないために、かなり苦労をし続けます。
誘導装置を積んで飛行制御をしようものなら、「ミサイル」呼ばわりされてしまいます。

それでもがんばってきた日本のロケットは、
やがて諸外国から、「そんなの作る金があったら、我々のロケットを買え」と圧力をかけられるようになります。

日本人の中にも、「開発するより、買った方が安い」と言い出す人までいて、某国会議員さんにも、あやうく仕分けられそうになったりもします。

そして、ついに、残念ながら日本の純粋なロケットは終わりを告げます。
でも、しぶとかった・・・
イプシロンがちゃんと生き延びていました。

日本の宇宙開発は、途中に何度も「やめる」機会がありました。
「やめろ」とも言われました。
でも、やめなかったから、成長してきました。
そう、僕は思っています。

誰かに「やめなさい!」「無理だ!」と言われて、
「はいそうですか・・・」とやめてしまったら、
自分の人生は、誰かのものになってしまうかも。
でも、その誰かは、自分の人生の責任なんて負ってくれません。
自分の人生は、自分のものです。
だから、外野の言葉に負けないで、自分のやりたいことを、
どうやったら出来るか考えて、やり続けるのは大事です。

でも、ひたすら同じ事をしていては、越えられない壁もあります。
だから、ちがう方法を考えるのも大事です。
禁止されたら、禁止されたなりに、ちがう方法を考えるのです。
そう、まるで、飛行機を禁止された人たちが、「じゃあ、ロケットならいいんでしょ?」と考えたように。

僕は、壁にぶつかったとき、いつも、戦後の日本の航空技術者達の執念を忘れないようにしています。